1998年に横浜フリューゲルスに入団するも1年でクラブが消滅し、その後2年間在籍した京都パープルサンガからガンバ大阪に遠藤保仁が加入したのは2001年のことである。
ようやく安住の地を見つけた遠藤は、そこから中心選手として多くのタイトル獲得に貢献。2005年に初のリーグチャンピオンに輝くと2007年のナビスコカップ、2008年にはAFCチャンピオンズリーグと天皇杯、2009年には天皇杯連覇と毎年のようにチームにタイトルをもたらした。
2002年に初招集されて以来、日本代表にも継続的に選ばれ、数々の国際大会を経験した。2006年のドイツワールドカップ(W杯)ではフィールドプレーヤーで唯一ピッチに立てず、オーバーエイジとしてメンバー入りが濃厚だった北京五輪はコンディション不良のため辞退と悔しい経験をしたが、2010年の南アフリカW杯と2014年のブラジルW杯ではピッチに立ち日の丸を背負って戦った。国際Aマッチ152試合出場は歴代最多の記録である。
クラブに戻っても活躍ぶりは変わらず、2014年には昇格即三冠の偉業を達成。個人としても多くの記録を残し、2014シーズンにはMVPに輝いた。2019年の8月には前人未到の公式戦1000試合出場を達成。紆余曲折を経て、いまもなお第一線を走り続けている遠藤は、2020年のシーズン途中にジュビロ磐田へ期限付き移籍。新天地でさっそく違いを見せつけた。
今季は期限付き移籍期間を延長して磐田で新シーズンに挑む。稀代のプレーメーカーはチームをJ1昇格に導けるだろうか。
プレースタイル
ピッチ上で慌てている姿は見たことがなく、常に冷静沈着。1つ1つのパスにメッセージを込めながら攻撃を組み立てる姿はまさに司令塔だ。
右足でも左足でも自分の思いどおりのキックができ、味方が受けやすいパスを供給。自然とこの男にボールが集まってくる。セットプレーも遠藤保仁の代名詞。GK泣かせの直接FKやコロコロPKと呼ばれる独特の間合いから蹴るPKでゴールを重ね、MF登録では歴代最多得点の記録を保持している。
動画:プレー&ゴール集
プロフィール・経歴
遠藤保仁/Yasuhito ENDO
1980年1月28日生まれ 178cm・75kg 利き足:右
シーズン | 所属クラブ | 出場・得点 |
---|---|---|
1998 | 横浜フリューゲルス | 16試合・1得点 |
1999 | 京都パープルサンガ | 24試合・4得点 |
2000 | 京都パープルサンガ | 29試合・5得点 |
2001 | ガンバ大阪 | 29試合・4得点 |
2002 | ガンバ大阪 | 30試合・5得点 |
2003 | ガンバ大阪 | 30試合・4得点 |
2004 | ガンバ大阪 | 29試合・9得点 |
2005 | ガンバ大阪 | 33試合・10得点 |
2006 | ガンバ大阪 | 25試合・9得点 |
2007 | ガンバ大阪 | 34試合・8得点 |
2008 | ガンバ大阪 | 27試合・6得点 |
2009 | ガンバ大阪 | 32試合・10得点 |
2010 | ガンバ大阪 | 30試合・3得点 |
2011 | ガンバ大阪 | 33試合・4得点 |
2012 | ガンバ大阪 | 34試合・5得点 |
2013 | ガンバ大阪 | 33試合・5得点 |
2014 | ガンバ大阪 | 34試合・6得点 |
2015 | ガンバ大阪 | 34試合・5得点 |
2016 | ガンバ大阪 | 34試合・2得点 |
2017 | ガンバ大阪 | 31試合・1得点 |
2018 | ガンバ大阪 | 34試合・1得点 |
2019 | ガンバ大阪 | 28試合・1得点 |
2020 | ガンバ大阪 | 11試合・0得点 |
2020 | ジュビロ磐田 | 15試合・2得点 |
2021 | ジュビロ磐田 | 35試合・3得点 |
※成績は国内リーグ(2021年12月8日現在)
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