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【まとめ】トミー・ジョン手術から復活を遂げた日本人選手たち。大谷翔平、ダルビッシュ有、藤川球児… | プロ野球

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【まとめ】トミー・ジョン手術から復活を遂げた日本人選手たち。大谷翔平、ダルビッシュ有、藤川球児… | プロ野球時事通信
【プロ野球】今では多くの選手たちが受けているトミー・ジョン手術。日本人選手では大谷翔平、ダルビッシュ有、藤川球児らが手術を受けたが、その後の活躍はどうだっただろうか?
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新型コロナウイルスの感染拡大により、プロ野球・MLBが開幕延期となり、国内外でトミー・ジョン手術に踏み切る選手が続々と増えている。プロ野球選手にとって致命傷とされる肘の靱帯断裂に関して、昨今ではメジャーな靭帯再建手術として知られるトミー・ジョン手術。長期離脱を強いられる一方で、再びプレーできる可能性が高く手術に踏み切る選手は多い。

そこで今回は、トミー・ジョン手術を行い、復活を遂げた日本人投手たちを紹介する。

トミー・ジョン手術とは

その後、数多くの選手がこのトミー・ジョン手術を受けて復活を遂げ、今ではプロ選手だけでなく、アマチュア選手も受ける手術となった。MLB公式サイト内にある『TOMMY JOHN FAQ』では、トミー・ジョン手術の権威として知られる整形外科医のジェームズ・アンドリュース博士が様々な質問に答えている。

高い手術成功率

スポーツ医学専門誌『The American Journal of Sports Medicine』によると、1986年から2012年までにトミー・ジョン手術を受けたMLB傘下の投手のうち83%がメジャーに復帰を果たしている。マイナー所属選手も含めると97%が実戦に復帰している。

手術後の離脱期間

アンドリュース博士によると、個人差は大きく、ケガの重症度などでリハビリプログラムが大きく変わる。ただ、平均的な投手ならば手術後12〜16カ月で実戦復帰が可能となっている。過去の例で最短は11カ月、最長で30カ月だったようだ。

手術後に球速が向上?

「トミー・ジョン手術後に球速が上がる」という話を聞いたことがあるだろうか?しかしアンドリュース博士によると、それが誤解だという。あくまでもトミー・ジョン手術は、負傷する前のレベルの投球パフォーマンスに戻すことが目的だ。実際には球速が上がった選手もいるが、それはリハビリの過程で選手の体力的な部分やコンディションなどの改善によるものであって、トミー・ジョン手術を行った影響ではないとしている。

手術を経て復活した日本人の現役投手

大谷翔平投手兼外野手

2011年にポスティングシステムを利用して日本ハムファイターズからロサンゼルス・エンゼルスに加入した大谷翔平投手兼外野手。MLBでも二刀流挑戦となり大きな注目を集めたが、1年目の途中に右肘靱帯に新たな損傷が判明し、医師からトミー・ジョン手術を勧められる。それでもシーズンを戦い抜き、投手としては10試合の登板で4勝2敗の防御率3.31。打者としては114試合に出場して93安打22本塁打の打率.285と好成績を残した。

ダルビッシュ有投手

2012年にポスティングシステムを利用して日本ハムファイターズからテキサス・レンジャーズに移籍したダルビッシュ有投手。3年連続2桁勝利を挙げるなど、MLBでの活躍が光った。しかし、2015年のスプリングトレーニングで右肘内側側副靱帯の損傷が判明。アンドリュース博士の執刀でトミー・ジョン手術を受けた。

およそ1年におよぶリハビリを経て、2016年5月28日のピッツバーグ・パイレーツ戦で658日ぶりに復帰。5回3安打1失点7奪三振の力投で白星を掴んでいる。このシーズンは7勝を挙げており、以降は2桁勝利を達成できていないものの、2019シーズンでは31試合に登板するなど復活を遂げている。

田澤純一投手

2008年に日本球界を経由することなくMLBに挑戦した田澤純一投手は、2010年に右ひじの靭帯損傷が見つかりトミー・ジョン手術を受けた。およそ1年間のリハビリを経て2011年に復帰した田澤はこのシーズン3試合に登板。2013年には上原浩治投手、クレイグ・ブレスロウ投手とともにボストン・レッドソックスのブルペンの軸として活躍し71試合に登板した。2014年も71試合に登板すると前年は防御率3.16から防御率2.86と大幅に改善するなどチームに欠かせない存在となった。

和田毅投手

2011年に海外FA権を行使して、福岡ソフトバンクホークスからボルチモア・オリオールズに加入した和田毅投手は、初年度の2012年のスプリングトレーニングで左ひじの違和感を訴え、同年にトミー・ジョン手術を実施。2014年にようやくメジャーデビューを果たすが、本来のピッチングは見せられなかった。その後シカゴ・カブスを経て、2016年に古巣であるソフトバンクに復帰した。するとその年、左ひじ痛で離脱を経験するも、最終的には24試合の登板で15勝5敗で最多勝と最高勝率のタイトルを獲得。見事な復活を遂げている。

藤川球児投手

2012年に海外FA権を行使して阪神タイガースからシカゴ・カブスに加入した藤川球児投手。クローザーとして活躍していたが、2013年の5月に右前腕部の張りからトミー・ジョン手術を実施し、初年度は12試合の登板に終わった。術後は、思うような投球ができず、2014年の復帰後は15試合の登板のみ。2015年からはテキサス・レンジャーズに加入するが、2試合登板後にシーズン途中に自由契約となった。

レンジャーズ退団後は、四国アイランドリーグplus・高知ファイティングドッグスに入団。2016年から再び阪神に復帰するとかつての輝きを取り戻す。初年度こそ43試合の登板で防御率4.60だったが、2017年は52試合で防御率2.22、2018年は防御率2.32、2019年は防御率1.77と中継ぎの一角として活躍を続けている。

五十嵐亮太投手

1997年ドラフトで東京ヤクルトスワローズから2位指名を受けた五十嵐亮太投手。豪速球を武器に1999年からは中継ぎの一角を担い、2004年には当時の日本プロ野球最速タイ記録となる158 km/hを計測。同年に最優秀救援投手のタイトルを獲得するなどヤクルトの投手陣を支えた。しかし2006年のシーズン中に右肘靭帯断裂が発覚し、オフにトミー・ジョン手術を受けた。

2007年はリハビリに費やすと2008年には実戦復帰をはたし、速球も157 km/hを計測するなど術前と変わらないパフォーマンスを見せる。2009年オフに海外FA権を行使してニューヨーク・メッツに加入し、その後は、ピッツバーグ・パイレーツ、トロント・ブルージェイズ、ニューヨーク・ヤンキースにも加入した。

2012年オフには福岡ソフトバンクホークスに加入し日本球界復帰を果たすと、6シーズンに渡って中継ぎの軸として活躍。2019年はヤクルトに復帰、8月8日には史上4人目となる日米通算900試合登板を達成した。

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