誰に見せるでもなく個人の感想、もっと言えば願望として書き記すならば、トルコで起こった出来事がすべて完璧だったと振り返ってもいいのかもしれない。
ビジャレアルが勝利をつかみ、UEFAヨーロッパリーグのベスト32に進出し、久保建英は傑出した活躍を見せた。それだけでなくパンデミックも今日で終わりを迎えて、皆の日々がまた輝きを取り戻した。そう書き記したって、いいのかもしれない。
しかし残念ながら、この文章を綴っているのは曲がりなりにも一記者であり、真実を語ることを義務付けられている。自分自身の目に映る真実を必要以上に誇張せず、オブラートにも包まず語ることを。もう随分と昔、エディット・ピアフ(※編集部注:フランスのシャンソン歌手)は『バラ色の人生』を歌い上げたが、やはり、いつもバラ色とはならないものだ。少なくとも、久保の今シーズンはそんな暖色系のものになっていない。
久保に今回その言い訳は通用しない
ビジャレアルが勝ったのは事実だ。大きな問題もなく、順調な足取りでもってグループステージ突破を果たした。その一方で久保のパフォーマンスは、ビジャレアルにとっても彼自身にとっても失望を覚えさせるものだった。今回のスイヴァススポル戦を前にフォーカスが当たったのは、久保とサムエル・チュクウェゼだった。ウナイ・エメリ監督はレアル・ソシエダ戦後の会見で、行き詰まる若手2人について、こう語っていた。
「サムは2〜3年、トップチームでのプレーに波があり続けた。私たちは彼が違いを生み出すことを必要としている。タケについては、ペナルティーエリアでプレーをしっかり終わらせてもらいたい。どちらにも危険な存在となってもらいたいし、ゴールを決めてほしい。その日が訪れるとき、私たちは新たな一歩を踏むんだよ」
そうして迎えたスイヴァススポル戦、チュクウェゼと久保はコインの表と裏になってしまった。前者が表で、後者が裏だ。久保は今季6回目のスタメンの座を手にしたが、またもやその力を発揮するチャンスを逃した。試合開始から1時間もしない内に、エメリはピッチから下げることを決断している。
ここ最近、左サイドで先発していた久保は、内に切れ込む選択肢がないために真価を発揮できないとされてきた。が、今回その言い訳は通用しない。エメリはチュクウェゼを左サイドに回し、久保を右に位置させたのだから。そして58分に久保が去った後、本来の居場所である右に戻ったチュクウェゼは真価を発揮し、勝利を呼び込むゴールを決めた。コインの表と裏、光と影……、鮮明なコントラストだ。
ただ、これまでに何度も強調してきたように、久保はまだ19歳なのである。同じく将来を嘱望されているチュクウェゼは21歳で、二つも年上だ。
日本人は今、将来になれるであろう選手像があるにもかかわらず、現在の選手像で完成されていると思われている。彼がスター選手になるための素材を持ち合わせていることに疑いはない。が、現時点では世界最高峰のリーグであるラ・リーガでそう扱われるべきではない。それを選手本人も、煽るだけ煽っているスペインの首都メディアも理解すべきだろう。レアル・マドリードでプレーできるレベルにあるかどうかという物差しだけで彼を測ることはあまりに不必要なプレッシャーであり、現在、指を置いている目盛りだけがすべてということは、決してないのだから。
久保の技術は感嘆のため息を漏らすほどだが、守備戦術、攻撃における最善のプレー選択には改善の余地があり、さらにはフィジカル、スピードで相手を上回ることができないときもある。ビジャレアルというラ・リーガの上位につけるチームの中で、自分を通用させるためのプレースタイルを、これから身につけていくはずだ。現実を受け止めて、必要以上の欲求に急かされることなく努力を繰り返す……。それこそが今、道に迷っている様子の久保に必要なことではないだろうか。
文= ビクトール・フランク /スペイン『オンダ・セロ』『マルカ』ビジャレアル番
翻訳= 江間慎一郎
1983年生まれ。東京出身。携帯サッカーサイトの編集職を務めた後にフリーのサッカージャーナリスト・翻訳家となり、スペインのマドリードを拠点に活動する。 寄稿する媒体は「GOAL」「フットボール批評」「フットボールチャンネル」「スポニチ」「Number」など。文学的アプローチを特徴とする独創性が際立つ記事を執筆、翻訳している。
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