昨シーズン限りで現役を引退した元日本代表MFの中村憲剛氏が、DAZNの『「No.14」中村憲剛-バンディエラの軌跡-』のなかで、転機となったプロ2年目を回顧した。
2003年、練習参加を経て川崎フロンターレに正式加入した中村は、トップ下の攻撃的ミッドフィルダーとしてプロの世界に入っていた。開幕戦で初出場を果たすと、その年は石崎信弘監督の下で全試合に帯同して34試合に出場。プロの流れをつかんで、2年目を勝負の年と位置付けていた。
そして、迎えた2年目。中村に大きな転機がやってくる。その年に新たに川崎Fの指揮官に就任した関塚隆氏は、中村をボランチにコンバート。攻撃的なポジションを務めていた男をボランチで起用する方針に変えたのだ。
「前には我那覇(和樹)がいて、ジュニーニョと今野(章)、あるいは(アルビレックス)新潟から入ったマルクスもいた。彼がそこの何番手に加わるかというようなイメージでした。でも、非常に止めてパスというのが早いし、それから強いボールをインサイドでも出せる。そういう印象も持っていたので、彼に直接ボランチをトライするかと話したと思います」(関塚氏)
中村は「トップ下で勝負する気、満々だったので、マジかよと思いましたけど」と話しつつ、今だからこそ話せる当時の心境を明かした。
「監督としての選択肢として、自分がそのチョイスに入りやすくなるというのは、危機感からくる発想だったと思います。ボランチができますという触れ込みでフロンターレに入りましたけど、ボランチなんて一回もやったことがなかった。それは生き延びるための嘘でしたから。攻撃と守備の比重が違いますし、特に自分の場合は攻撃に全振りしていたところがある。それでボランチをやるという意味では5:5になるわけなので、最初は大変でしたね」
ただ、このポジション変更により、そこから中村の実力がさらに引き出されていくことになる。2004年は41試合5得点の成績を残し、チームのJ1昇格に貢献。それから日本のトップに立つような選手へと成長していった。
「こんなにボールにいっぱい触れて、こんな前を向けるんだと。これは天職かもしれないと思ったのはその時期ですね。(もしコンバートされていなかったら)ひょっとしたらそのままあぶれて、出場機会を求めて移籍していた可能性もゼロじゃないと思う。今のような形にはなってないかもしれない」と語った中村氏。川崎Fの偉大なバンディエラにとって、ボランチへのコンバートは大きな転換点だったようだ。
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