クラブ史上初となるルヴァンカップのタイトル獲得の歓喜に沸く、紫に染まったスタンドに1枚のユニフォームを高らかに掲げている選手がいた。川浪吾郎。サブGKの立場ながらピッチ上の選手たちを鼓舞し続け勝利に貢献した男は、天に向かって優勝の報告をするかのように『背番号50・KUDO』のユニフォームを手に喜びをかみしめていた。
決勝前日に32歳の若さでこの世を去ってしまった工藤壮人氏と川浪は柏レイソルのアカデミー時代から、かれこれ20年近くの付き合いになる。「すごくお世話になった先輩」と工藤氏を慕う川浪はミックスゾーンで足を止めると、試合中とはまるで別人のような小さな声で、時折、言葉に詰まりながらも、思いを聞かせてくれた。
「ユースのときだけでなくトップチームに上がってからもすごく可愛がってもらっていました。工藤くんが試合に出ていないときは居残りでのシュート練習に付き合う機会も多く、プライベートでもすごくお世話になったので、未だに今回の出来事は信じられないです。まだ、お会いも出来ていないですし。正直、難しい気持ちは強かったけど、試合が終わるまでは絶対に泣かないと決めていました。それは工藤くんの本意ではないと思っていたから」
だからこそ、この日の試合に思いを重ねずにはいられなかった。時計の針が90分を回った時点では負けていたのに、アディショナルタイム中に2つのゴールが生まれ、劇的な勝利でのタイトル獲得。見えない力が働いたとしか思えなかった。
「あんまり神様とかそういうのを信じたくないですし、きれいごとにするのも好きじゃない。簡単にドラマみたいにもしたくないです。ただ、こんな展開と結末は工藤くんが見てくれていたとしか考えられないですよね」
この日、川浪がピッチに立つ機会はなかった。それでも、ベンチ脇で絶え間なくピッチ上の選手たちに声をかけ続け、鼓舞する姿は目立っていた。同点となるPKを獲得した際にサポーターを煽っていた姿も印象的だ。逆転ゴールが決まった瞬間もダッシュでゴールに裏に駆けつけた。そのことを伝えると、少しだけ頬を緩め教えてくれた。
「ああやってチームのために行動することも工藤くんから教えてもらいました。これからも自分はそれをやり続けるだけです。いまは『優勝したよ。お疲れ様でした』と、それだけ伝えたいです。それ以上、言葉にする必要はないかなと。工藤くんは見てくれていると思いますから。僕はあの人の分まで生きるしかないですね」
最後に思いの丈を話しスタジアムをあとにした川浪の思いはきっと届いているはずだ。「吾郎、ありがとう」。そう言って、天国で工藤壮人さんも喜んでくれているだろう。
文・ 須賀大輔
1991年生まれ、埼玉県出身。学生時代にサッカー専門新聞『ELGOLAZO』でアルバイトとして経験を積み、2016年からフリーライターとして活動。ELGOLAZOでは柏レイソルと横浜FCの担当記者を経て、現在はFC東京と大宮アルディージャの担当記者を務めている。
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