サプライズを提供してきた“アトラスのライオン”
誰がここまでの躍進を予想できただろうか。
ベルギーやカナダを上回ってグループステージ突破を決め、決勝トーナメントではスペインやポルトガルを撃破。最後はフランス、クロアチアに敗れて4位となったが、“アトラスのライオン”と称されるモロッコはアフリカ史上、最高成績を収めるに至った。
まさにサプライズと言える結果だ。ある海外の記者もクロアチア戦後の記者会見で正直に「(モロッコの成功を)少し疑問に思っていた」と謝罪するほどである。
これに対し、チームを指揮するワリド・レグラギ監督は「(そう思ったのは)あなただけではなかったと思います」と自身の思いを口にした。
「謝る必要はありません。私の国でも、多くの人が私たちのことを信じていなかった。だから、私たちはその間違いを証明するために戦ったんです」
今大会における前評判は決して高くなかった。
日本でもお馴染みのヴァイッド・ハリルホジッチ監督の下、2019年に新生・モロッコ代表が誕生すると、そこからチームは急成長。FIFAランキングでアフリカ2位に位置するまでになり、今年の3月にはコンゴ民主共和国を下してW杯の出場を手にした。
だが、主力との対立などもあり、本大会を3カ月後に控えたタイミングでハリルホジッチ監督が解任された。かつてプレイヤーとしてモロッコ代表でプレーした経験のあるレグラギ監督が新たに就任し、今大会に挑むことになったのだ。そういった突然の監督変更もあり「今年のモロッコは厳しいのではないか」というのが多くの人の意見だった。
果たして、W杯では試合をこなすごとに成長を遂げていくモロッコの姿があった。初戦のクロアチア戦をスコアレスドローで終えると、ベルギー戦では2得点を奪って1998年大会以来の金星をゲット。最終戦のカナダ戦にも勝利して36年ぶりの決勝トーナメント進出を決めた。
ノックアウトステージでは気持ちの入った戦いで見るものを魅了した。ラウンド16のスペイン戦では堅固な守備と鋭いプレッシングで対抗し、最後はPK戦の末に勝利。準々決勝ではポルトガルを相手に華麗に先制点を奪った上で、終盤は相手の猛攻を跳ね返し続けてアフリカ勢初のベスト4に到達した。
アフリカ勢初のベスト4。子供たちに夢を与え、思いは次の世代へ
(C)GettyImages
準決勝のフランス戦に敗れて迎えた3位決定戦のクロアチア戦は、もはや満身創痍だった。主将のロマン・サイスやバイエルン・ミュンヘンのヌセア・マズラウィを欠き、試合中には筋肉系のトラブルで2人が途中交代。ここまでたどり着いたことによる歪みは、確実にピッチに表れていた。
それでも、3位を勝ち取るためモロッコは勇敢に戦った。何度もボールを奪っては敵陣に攻め込み、あと一歩のところまで相手を追い詰めた。最後のユセフ・エン・ネシリのゴールが決まっていれば、どうなっていたかはわからない。それほどまでに3位が手の届くところにまで迫っていた。
レグラギ監督が「審判を尊重しなければならない。このような試合に負けた時は、自分たちに何が欠けていたのかにフォーカスしないと。レフェリーの背後に隠れることはできない。それはモロッコのやり方ではない」と認めたように、クロアチア戦の終盤に見せたような審判にプレッシャーをかける姿は褒められたものではなかった。
だが、ここまで見せてきたモロッコのパフォーマンスが、世界の子どもたちに与えた影響も小さくない。
なかなか夢を見ることが許されていないような子どもたちに、アフリカのチームでも世界と互角以上に渡り合うことができる。こういった舞台で国を背負って戦えるような選手になりたい。そんな夢を見させることにつながったのは間違いない。
「たくさんの子どもたちがサッカー選手になることを夢見ていて、ワールドカップに出ることも夢の一部だ。そして、それはかけがえのないものでもある。ワールドカップで勝利するということは、そういったもの以上の大きなインパクトを我々の国にもたらしてくれると思います」(レグラギ監督)
素晴らしい成果を上げたことをしっかり認識した上で、ここから地に足をつけて、もう一度、さらなる結果を求めていく。そういった思いを一つひとつ次の世代へとつなげていくことで、モロッコは新たな歴史を作っていくのだろう。
文・ 林遼平
埼玉県出身の1987年生まれ。東日本大震災を機に「あとで後悔するならやりたいことはやっておこう」と憧れだったロンドンへ語学留学。2012年のロンドン五輪を現地で観戦したことで、よりスポーツの奥深さにハマることになった。帰国後、フリーランスに転身。サッカー専門新聞「エルゴラッソ」の番記者を経て、現在は様々な媒体で現場の今を伝えている。