36歳の田中は、2005年に桐光学園高校を卒業後に横浜F・マリノスに加入し、プロキャリアをスタート。プロ2年目にデビューを飾ると、2008年に当時指揮を務めていた桑原隆監督の下で台頭し、レギュラーの座を掴み取った。2011年には川崎フロンターレに移籍し、4シーズンを過ごしてリーグ戦117試合8得点を記録した。
2015年にはオーストラリアのウェスタン・シドニーへ移籍するが、リーグ戦では10試合の出場を果たした。その後はセレッソ大阪とファジアーノ岡山を経て、2022シーズンより東京都1部リーグのSHIBUYA CITY FCへと加入したが、現役生活にピリオドを打つ決断を下した。
なお現役引退後は、SHIBUYA CITY FCを運営する株式会社PLAYNEWの執行役員に就任したことも併せて発表している。
クラブの公式サイトを通じて以下のようにコメントしている。
「この度私田中裕介は2022シーズンをもってサッカー選手人生から引退する事を決断しました。 サッカーを始めて30年、高校を卒業してプロの世界に飛び込んでから18年が経ちました。 人生の大半をサッカーと共に過ごしてきた今、 私が抱える感情は2つあります。
1つは「夢のような長い道のり」だったなという事です。サッカーボールを蹴り始めてから今日まで自分では想像もできなかった長い道のりを走ってくる事ができました。 小さい頃の夢であった プロサッカー選手になれた事も そこから18年間もプレーできた事も多くの苦しみを感じた事も その苦しみを遥かに超える喜びの数々を経験できた事も全て夢の中にいたように感じています。
もう1つは「感謝」です。 自分のサッカー人生を振り返って胸を張って言える事はサッカーを通して最高な方々に 出会えた事が1番の幸せでした。 シルクロードSC、町田JFC、桐光学園、横浜F・マリノス、川崎フロンターレ、Western Sydney Wanderers、セレッソ大阪、ファジアーノ岡山、SHIBUYA CITY FC。 地元東京の小さなクラブチームから始まったサッカー人生。 そこから今日に至るまで私が所属した全ての素晴らしいクラブ、スタッフ、サポーター、選手の皆様と出会えた事で本当に素晴らしいサッカー人生を送る事ができました。 皆様のおかげで今の自分があります。感謝しております。
最後に両親へ。 小さい頃から自分の挑戦を応援してくれてありがとう。 スパイクが壊れたらすぐに新しいスパイクを買ってくれて、常に身体に良いものをと栄養にも気を遣ってくれたね。おかげで大きな手術を一度もする事なく、ここまでこれたよ。 無理して走ってきたボロボロの脚を見て今年で辞めようと思うと伝えた時に 「充分すぎるくらいに楽しませてもらったよ。ありがとう。」 この言葉を言われた事が最高に嬉しかったよ。
『生まれ変わっても同じサッカー人生を歩みたい』 心の底からそう言える最高で夢のようなサッカー人生でした。 本当にありがとうございました!!」
関連記事
● 日本代表MF相馬勇紀が海外クラブと移籍交渉中であることを名古屋が発表。1月8日の始動には参加せず
DAZNについて
DAZNなら好きなスポーツをいつでも、どこでもライブ中継&見逃し配信!今すぐ下の記事をチェックしよう。
● 【番組表】直近の注目コンテンツは?
● 【お得】DAZNの料金・割引プランは?