プロフットボールの世界は待つということを知らない。いつだって“今、このとき”しかなくて、ブレーキだって効かず、凄まじいスピードで駆け抜けていく。フットボールは結局、すぐにでも結果を出すことを求められる社会のメタファーでしかないのだ。毎週末に芝生の上で生まれる結果は数え切れないプロジェクトを終わらせてきた。責任を背負いたくないクラブは監督と選手に手にしていたコンパスを投げつけ、進むべき方角を見失い、迷走を始めていく。
さて、バスクの地に目を向ければ、そこにはレアル・ソシエダが存在している。ソシエダはバスク、ギプスコア、サン・セバスティアンという土地に根ざした謙虚で、家庭的で、働き者のクラブである。会長の椅子に座るのーはいつだって地元出身者で、サポーターは大きな愛情を注ぎながらクラブのことを見守る。ソシエダというクラブのアイデンティティーは、首脳陣、コーチングスタッフ、サポーターを通じて植え付けられた、帰属意識そのものだ。
そんなソシエダの自慢の一つが、帰属意識とプレー哲学を何よりも重視したカンテラ(下部組織)である。彼らは、ときに回り道もしながら、クラブの練習場スビエタを世界最高峰の育成組織に磨き上げた。自慢のフットボールダイレクター、ロベルト・オラベとともに。
■銀河系軍団と渡り合い、その後2部降格
40年前、ソシエダは素晴らしい世代に恵まれたことで、ラ・リーガ連覇を成し遂げている。所属選手たちは、全員が自家製だった。しかしフットボール界の景色は、その後に一変することになる。
1995年、ボスマン判決が下された。
これで各クラブは際限なく外国人選手を獲得することが可能となり、ソシエダ含めてカンテラを自慢としてきた多くのクラブが移籍市場で即戦力を獲得するようになった。彼らは自家製の選手たちを育てても、チャンスを与える余裕をなくしてしまったのだ。
ソシエダがラ・リーガ連覇から20年が経ち、フランスから一人の監督がソシエダに到着する。彼の名、レイノー・ドゥヌエ。選手育成で有名なクラブ、ナントで選手&監督として過ごした人物だった。2002年、レアル・ソシエダの元GKで、当時スポーツダイレクターを務めていたロベルト・オラベが、このフランス人をサン・セバスティアンに連れて来たのである。
ドゥヌエは今やソシエダの伝統となりつつあるポゼッション主体のプレースタイルを植え付けた人物だった。2002-03シーズン、彼が率いるチームはラウール、フィーゴ、ジダン、ロナウドらを擁して“ガラクティコ(銀河系軍団)”と呼ばれたレアル・マドリーと最後までラ・リーガ優勝争いを演じた。連覇を成し遂げた頃と何か違いあったとすれば、それはデ・ペドロ、シャビ・アロンソ、グルチャガなどのカンテラーノたちが躍動した一方で、カルピン、ニハト、コバチェビッチなど多くの外国人選手たちもプレーしていたことだろう。
ソシエダは再び躍進を遂げ、クラブの首脳陣もサポーターも「もっと」を求めた。ラ・リーガ準優勝よりも先に進もうと新たな選手たちを獲得し、それに比例してドゥヌエへの要求を厳しくした。しかし2シーズン目は思うように順位を上げられず、道半ばで監督解任に踏み切ることとなった。
あれはドゥヌエが悪かったというより、ソシエダ側が事を急ぎ過ぎて、彼の興味深いアイデアを生かし切れなかったのだ。実際的にソシエダはそこで進むべき方角を見失い、2007年には2部降格の憂い目に遭ったのだった。
■月曜から金曜までの王者に
ソシエダの降格はギプスコア全体に大きな傷を負わせるものだった。すでにクラブから去っていたオラべなしで、ソシエダは自分たちのアイデンティティーを取り戻す旅をスタートさせ、それから3年後にラ・リーガ1部に返り咲く。会長のジョキン・アペリバイは1部で安定し始めてからオラべをクラブに呼び戻した。今度はスポーツダイレクターではなく、フットボールダイレクターとして。
カタールの選手育成機関アスパイア・アカデミーでフットボールダイレクターを務めていたオラベは、2016年5月に同じ肩書きでもってソシエダに帰還。だが当時のスポーツダイレクターであるロレン・フアロス、エウセビオ・サクリスタンと衝突して8カ月後に同職を辞任した。その後エクアドルのクラブ、インデペンディエンテ・デル・バジェでスポーツ戦略部長となったオラべだが、アペリバイがフアロスとエウセビオを解任したことで、2018年4月にソシエダに三度帰還を果たしている。
すべてはアイデンティティーの再発見から始まった。ソシエダがどのようなクラブで、ギプスコアがどのような地域なのか? ここに住む自分たちが何を得意としていて、ここに住む人々のフットボール的感性はどういったものなのか? オラべは創造的かつ勇敢なポゼッションフットボールこそが、自分たちのプレースタイルであり、ここの選手たちが得意であることと定義した。その当時からスビエタでは全年代のチームが同じシステムを使用していたが、彼はその方向性を強化しつつも、選手個人の成長も重視していく方策を取っている。
オラべが、常々口にする言葉がある。
「私たちは月曜から金曜まで一番でありたい。週末、素晴らしい結果を収めるにふさわしい自分たちでいたいんだ」
大切なのは種を蒔いて、それを大切に育てること……つまりは過程そのものなのである。準備もせずに成果物を手にすることなどできない。オラべはこの考えの下、ギプスコアという地域に根ざした選手育成を実現している。スビエタで練習に取り組む子供たちの割合をギプスコア出身80%、その他の地域20%にすると取り決め、そしてトップチームはカンテラーノ60%、獲得選手40%の割合にしてラ・リーガ1部で戦い続けることを目標に掲げる(今季比率は下部組織出身が63%で欧州5大リーグ最高)。
■スビエタが唯一無二である理由Getty Images
スビエタの選手育成には多くの特色があるが、とりわけ強調されることが3つある。
一つ目は、若ければ若いほど出場時間を分け合うようにすること。インファンティル(U-12~13)とカデテ(U-14~15)で全体の試合時間の50%、フベニール(U-16~18)で35%の出場機会が保証される。またスビエタでは世代間を越えた試合も行い、それはとりわけ年少のチームの成長を促している。
二つ目は、チーム全体のパフォーマンスだけでなく選手個人の成長を重視していること。ソシエダをビッグデータなどを駆使して、各選手の不足している点、改善すべき点を炙り出して個別にアドバイスを施している。また、そうしたアドバイスはスビエタ内だけでなく、提携を結ぶ地元80クラブの12000人の選手たちに対しても行われる。ソシエダは将来的に自クラブに加えることを視野に、提携クラブの選手たちを定期的にスビエタに迎えてデータを取っており、その成長を促している。
そして三つ目は、フットボール選手になれなくても不自由しないように彼らの人間力や価値観を育み、勉学にもしっかり取り組ませること。加えて、ソシエダ&ギプスコアへの帰属意識を感じさせることも大切な要素である。例えば多くのビッグクラブから興味を持たれるオヤルサバルはソシエダと2028年までとなる長期契約を結び、同様にバルセロナが獲得を狙っていたスビメンディについても2027年までの新契約にサインを交わしたが、彼らはそうした帰属意識の価値を植え付けられている選手たちだ。
オラべは指導者/教育者もクラブ出身者にこだわっている。代表的な例はもちろん、トップチームを率いるイマノル・アルグアシルだ。彼はスビエタで選手、監督として学んだ人物であり、カンテラーノがトップチームに昇格を果たすときに一体何をすればいいのか、どういった心構えでいたらいいのかを熟知している。……そして、カンテラーノにとってトップチームと同じシステム、プレースタイルの中で育ってきた経験は、自分がチーム内でどう機能すべきかで迷わずに済む保証となるのだ。
■ビッグデータの活用Getty Images
選手の指導でビッグデータを活用していると先に記したが、もちろん選手の補強にもそれは使われている。2021年であれば5万5000人もの選手が獲得の対象となり、その後480人に絞られて、最終的にはトップチームに3選手、Bチームに3選手が加わっている。そうして獲得したのがダビド・シルバであり、ミケル・メリーノであり、ブライス・メンデスであり、久保建英であるというわけだ。彼らはビッグデータからピックアップされ、オラべやイマノルの慧眼によって絶対に獲得すべきと判断された選手たちだが、その予想通りチームに見事に適応した。スビエタでは賄い切れなかった才能を持ち、それでいて、スビエタ出身選手たちと同じフットボール言語を話す選手たちである。
ソシエダは月曜から金曜までの仕事に大きな誇りを持っている。信じていること、そのためにできることはすべてやって、週末の試合には胸を張って臨むだけだ。そんなソシエダの哲学、情熱、前衛的かつ緻密な仕事ぶりは世界中から称賛されている。ソシエダのカンテラは2013、2020、2021年と、三度にわたり最高の育成組織に選ばれている。
文=ナシャリ・アルトゥナ(Naxari Altuna)/バスク出身ジャーナリスト
企画・翻訳=江間慎一郎
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