4回のチャンピオンズリーグ優勝、5回のラ・リーガ優勝、2回のリーグ・アン優勝、1回のワールドカップ優勝、2回のEURO優勝、そのほかもろもろの優勝、優勝、優勝、タイトル、タイトル、タイトル……。
セルヒオ・ラモスはレアル・マドリー、パリ・サンジェルマン、スペイン代表の選手として、これまで合計28タイトルを獲得してきた。しかもプレー面の影響力はもちろんのこと、真のリーダーとしてチームの精神的支柱にもなりながら。
ただ思い返してみると、彼が涙を流してまで喜ぶ姿を私たちはほとんど見たことがない。フットボール史上でも突出した強心臓の持ち主はやはり、情の脆さを軽々しくさらけ出したりはしないのだろう。
だが、2023年9月7日に行われたセビージャ復帰セレモニーで、セルヒオは泣いていた。
いつも余裕たっぷりのスペイン・フットボールの生ける伝説は、心の隙間からあふれてきた涙をせき止められず、両目から流れるままにしていた。セルヒオと彼の故郷のクラブであるセビージャはこれまで愛憎の物語を紡いできたが、いかに憎悪が入り込んでいても、その源流には愛しかないのだ。あのとき、彼の心からそんな純粋な感情があふれ出たのだった。
■愛憎の物語
セルヒオとセビージャの愛の物語に憎悪が入り込んだのは2005年夏のことだ。当時19歳だったセルヒオは指揮官ホアキン・カパロスに絶対的主力として扱われ、セビジスタ(セビージャサポーターの愛称)たちからも我が子のように可愛がられていた。その頃の会長ホセ・マリア・デル・ニドはそんなセルヒオとの契約延長を目指したが、この頃から類い稀な強心臓ぶりを発揮していたセルヒオは、チームの最高年俸を要求して拒絶された。Getty Images
そこに現れたのがジダン、フィーゴ、ロナウド、ベッカムらを擁するガラクティコス(銀河系軍団)のレアル・マドリーだった。彼らのスポーツダイレクターを務めていたアリゴ・サッキはセルヒオのプレーと将来性に魅了され、会長のフロレンティーノ・ペレスに対して彼の契約解除金2700万ユーロを支払うべきと説得した。
しかし、ここで問題が生じることに……。セルヒオは移籍市場が閉鎖する数日前に、マドリーへの移籍願望を公表。その言葉は鋭い刃となってセビジスタたちの心を傷つけている。
とはいえ、セルヒオはデル・ニドから求められたことをしただけだった。じつはその時点でマドリーとセビージャの話し合いは済んでおり、デル・ニドは自らの保身のために(自分が売却を決めたと思われないように)、セルヒオに言葉の刃物を持たせたのだった。こうしてセルヒオは、それから20年近くにわたって、セビージャの本拠地サンチェス・ピスフアンで憎悪を向けられる対象となった。セビジスタたちほど熱狂的なサポーターは世界にもそうはいない。しかし裏を返せば、彼らほど執念深いサポーターも、またいないのである。
■祖父の涙
セビージャを離れたセルヒオは家族のことを、とりわけ今は亡き祖父のことを思って心を痛めていた。セルヒオの祖父は彼にセビージャを愛させただけでなく、毎日下部組織の練習に連れて行った人物でもあった。Getty Images
たとえマドリーに移籍しても、祖父にとってセルヒオは自慢の孫であり続けた。が、ほかのセビジスタたちが同じ感情を共有するなど望むべくもなかった。彼らにとってのセルヒオは自慢のカンテラーノ(下部組織出身選手)ではなく、セビージャに背いた裏切り者でしかなかった。セルヒオはマドリーの選手としてサンチェス・ピスフアンの芝を踏む度に、耳をつんざくブーイングと暴言を浴びせられている。彼の祖父はそんな残酷な光景を目の当たりにして、涙を流したことさえあった。
2017年1月のコパ・デル・レイ、セルヒオは永遠のように続くセビジスタたちからの非難についに耐え切れなくなった。試合中、北スタンドに陣取るセビージャのウルトラス、ビリス・ノルテから暴言を浴びせられ続けた彼は、不必要なパネンカ(チップキック)でPKを決めた直後、ビリスに対して両耳に手を当てる挑発的なパフォーマンスを披露……。彼はそのほかのスタンドにはゴールを決めたことを謝罪をしたものの、どのスタンドも裏切り者の振る舞いを許しはしなかった。
あの一戦でセルヒオとセビジスタたちの関係はほぼ完全に決壊し、和解の道はもはや残されていないように思えた。この夏を迎えるまでは……。
■92分48秒のゴール
セルヒオの強心臓ぶり、意思の強さはやはり突出している。彼と同じような地位や状況に立って、セビージャ復帰を選ぶ選手が、果たしてほかにいるのだろうか……。今夏、パリ・サンジェルマンを退団したセルヒオはトルコ、とりわけサウジアラビアから金銭的に好条件のオファーを提示されていたが、金はもう十分稼いだと見向きもしなかった。彼には金よりも手にすべきものがあったのだ。Getty Images
セルヒオが求めたものは、セビージャにほかならなかった。彼は家族、空から見守る祖父と親友のアントニオ・プエルタ、そして何よりも自分のために、フットボーラーとして最大限の軌跡を描いたキャリアの終わりに、始まりのクラブに戻ることを願ったのだった。
セビージャの首脳陣には当初セルヒオを獲得する考えはなく、彼に復帰願望があることを耳にしても連絡すらしなかった。 だがセルヒオはたとえセビジスタたちから嫌われていても、たとえ年俸額をこれまでの20分の1の100万ユーロに減らすことになっても復帰をあきらめなかった。親友のヘスス・ナバスや知り合いのセビージャの選手たちとコンタクトを取り続け、セビージャ首脳陣の頑なな態度を軟化させようと試みるなど、ありとあらゆる手を尽くして目標の実現を目指している。
そして最終的に、指揮官ホセ・ルイス・メンディリバルが格を持つベテランDFを求めたことが決め手となって、セビージャは現地時間9月3日正午、ついにセルヒオに電話をかけて契約を打診したのだった。
思い起こすのは、2013-14シーズンのチャンピオンズリーグ決勝、レアル・マドリー対アトレティコ・デ・マドリーだ。セルヒオは0-1ビハインドで後半アディショナルタイムを迎えても決してあきらめず、92分48秒に逆転勝利につながる起死回生の同点弾を決めてみせた。そして今回、彼は移籍市場が閉鎖した後でもチャンスが絶対に訪れると信じ(彼自身はフリーエージェントだがセビージャは厳しい台所事情もあって補強を終わらせられなかった)、またも92分48秒あたりにゴールを決めてみせたのである。
■嘘偽りのない気高き雄
セビージャ復帰が決まったセルヒオがまず最初にしたこと、それはセビジスタたちへの謝罪だった。Getty Images
「一度ここを去って18年が過ぎたが、僕は間違いを犯していたんだと思う。この機会に謝りたい。自分の振る舞いに傷ついたセビジスタがいたならば、どうか許してほしい」
ビリス・ノルテがセルヒオ獲得を非難する意思を声明で発表するなど(セルヒオへの嫌悪感よりも以前から不満を持っていた現首脳陣に対する非難が色濃い声明だったが)、自分たちを一度は裏切った者への拒否反応は完全に消えたわけではない。それでもサンチェス・ピスフアンで行われた復帰セレモニーに2万2000人が集まったように、彼のことを許した、または信頼を寄せるセビジスタたちは少なからず存在する。
何となれば、セルヒオ・ラモスは阿諛追従とは縁のない、気高き雄なのだから。
セルヒオは強心臓で自尊心の塊のような男だが、しかし保身のために自分を偽ることもない。そんなセコい人間であったならば、マドリーのキャプテンや世界最高のDFの座まで届き得なかっただろう。だからこそ決して少なくないセビジスタが彼のセビージャに戻りたいという気持ちを、謝罪の言葉を、復帰セレモニーでの涙を、「自分が死ぬときにはセビージャとマドリーの旗を立ててもらう」という言葉を素直に受け入れたのである。
もちろんセルヒオはフットボーラーであり、名声や気持ちや言葉だけで何もかもを説き伏せられるわけではない。求められるのは芝生の上での結果であり、チームを勝たせられるのかどうかだ。彼はピッチで、人々の心を動かさなければならない。
兎にも角にも、セルヒオは家に帰ってきた。彼の家に帰ってきた。プロ選手になるという夢を見始めた場所に。皆から可愛がられ、憎まれた場所に。祖父が涙した場所に。祖父とプエルタが空から見守る場所に……。その場所で紡がれる物語には、まだ続きがあった。セルヒオが続きと、幸せな終わりがあることを決めたのだ。
文/アルベルト・フェルナンデス(Alberto Fernandez、『マルカ』セビージャ支局)
企画・翻訳・構成/江間慎一郎
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