メキシコはサウスポーの名産地というイメージが強い。同国出身のピッチャーの通算勝ち星トップ10のうち、左投げは5人を数える。その中でメキシカンの最多勝記録(173勝)を持ち、MLBの歴史に大きな足跡を残したメキシコ野球界最大のレジェンドが、フェルナンド・バレンズエラだ。
足を上げる際に顔が天を向く独特な投球フォームから繰り出されるスクリューボールに、メジャーの強打者たちのバットは空を切る。1980年に顔見世程度のデビューを果たすと、開幕投手に大抜擢された翌1981年は初登板から8連勝、そのうち5試合が完封勝利という空前絶後のピッチングを展開し、MLB史上初にしてその後も出ていない新人王とサイ・ヤング賞のダブル受賞という快挙を成し遂げた。
ドジャースタジアムにはバレンズエラの34番のユニフォームを着たファンが殺到し、彼らは“フェルナンドマニア”と呼ばれた。バレンズエラの出現後、メキシコ出身のサウスポーは何かと偉大な先達と比較される。楽天に加入したマニー・バニュエロスも、ニューヨーク・ヤンキース傘下のマイナーにいた頃は、当時主砲だったアレックス・ロドリゲスに「バレンズエラ以上の素質がある」と称賛されていた。
将来を嘱望されるも“14年越し”のヤンキースデビュー
バニュエロスのプロ入りは2008年。メキシカンリーグで投げていた4人の選手とともに、ニューヨーク・ヤンキースに入団した。上背はなかったものの、鋭いカーブとチェンジアップの評価が高く、将来的には先発2番手レベルの投手になれると期待をかけられた。順調にマイナーの階段を駆け上がるバニュエロスはMLB全体でも注目の若手と目され、2012年には各媒体のプロスペクトランキングで上位にランク付けされるなど、この頃は「ヤンキースの未来のエース」という青写真を描くファンも少なくなかっただろう。
しかし、歯車はすぐに狂いだす。その年のシーズン開幕早々に左ヒジを痛めたバニュエロスは、オフにトミー・ジョン手術に踏み切り、2013年はまったく投球をせずリハビリの日々。2014年はマイナーで実戦復帰するもメジャー昇格までは至らず、ついにピンストライプのユニフォームを着ることなくオフにアトランタ・ブレーブスへトレードされた。
2015年にようやくメジャーデビューを果たすも目立った成績を残すことはなく、2020年には台湾球界も経験。再びアメリカに戻り、昨季は3月に古巣ヤンキースとマイナー契約を結び、6月3日についにヤンキースタジアムの土を踏んだ。この登板は「14年越しのヤンキースデビュー」として話題を呼び、遠回りしたけどたどり着いたかつての有望株に、スタンドから惜しみない拍手が送られた。その後はシーズン途中にピッツバーグ・パイレーツに移籍し、2球団トータルで自己最多の35試合に登板し、防御率4.39の記録を残した。
昨年は年間通じてほぼリリーフだったが、楽天では先発ローテーション入りが期待されている。2月25日の日本ハムとのオープン戦で来日初先発を果たすといきなり最速151キロを記録し、これには石井一久監督も「腕も振れていたし、打者との間合いとかもいい感じ」と目を細めた。続くロッテ戦では3回途中6失点と打ち込まれたが、アジャストしていくのはまだまだこれから。かつてメジャーのスカウトたちをうならせたカーブやチェンジアップの変化球を武器に、2度目のアジア球界で大輪の花を咲かせることができるか。
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