2015,16年賞金女王のイ・ボミ(韓国)は今大会を最後に日本ツアーから引退する。なぜ彼女は日本のファンに愛されたのか。日本のスター選手が米ツアーに参戦していた時期に国内ツアーを支えた存在だった。
2015年、あるアマチュアゴルフ大会の会場で驚いたことがあった。ジュニアゴルファーによく聞く定番の質問に「憧れの選手は誰ですか?」というものがある。まだ何の情報もないアマチュア選手の理解につながる。憧れの選手を聞くとプレースタイルや目指したいが理想像がわかるからだ。
当時のジュニアゴルファーの多くは「イ・ボミさんのようになりたいです」と言った。その数は日本選手をはるかにしのいでいた。正直、心の底では宮里藍さんら日本選手の名前が挙がると思っていた。
日本の女子ゴルフ界にとって、待望のヒロインだっただろう。イ・ボミが日本ツアーに参戦したのは2012年。当時の日本ツアーの状況は2006年に宮里藍さんが米ツアーに参戦すると、その背中を追うように上田桃子や有村智恵といった国内ツアーのスター選手は海を渡る決断をした。横峯さくらや森田理香子といった人気選手らはまだいたが、黄金世代の出現はまだずっと先。国内ツアーの空洞化が叫ばれるような状況だった。
アン・ソンジュや全美貞の韓国勢が2010年から3年連続で賞金女王に輝いた。人気の高い日本選手をしのぎ、実力のある韓国選手がトップに立つという構図。女子ゴルフ界全体の人気はあったが、韓国選手が優勝すると日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)には「日本選手を勝たせろ」というクレームの電話が鳴ったという。
参戦当初のイ・ボミも韓国ツアーの歴代賞金女王として日本選手のタイトルの前に立ちはだかる存在として扱われた。しかし快進撃とともに人気者になった。初めて賞金女王に輝いた前年には横峯が米ツアー出場権をかけた予選会に参加。イ・ボミは、主役なき時代になりかけた女子ゴルフ界を救った選手と言っても過言でないだろう。
なぜ彼女の人気に火がついたのか?イ・ボミの母であるファジャさんは、参戦当初に韓国語が話せる知り合いの記者に「ボミを取り上げて欲しい」とよく頼んだという。メディアで露出する機会が多かったため知名度は向上したのだろう。しかしブームになった理由は、彼女の人懐っこさにある。
来日当初「お世話になっているから」とツアー中でもファンとの食事会を開催した。そしてトッププロになった後も顔を出し、直接コミュニケーションを図っていたという。彼女の人柄を垣間見たのは2016年のオフシーズンに都内の室内練習場で開催されたスイングレッスン会。ファン一人一人に丁寧に接し、ツアー会場に応援に来るファンの顔をよく覚えていた。
かつてツアー会場でイ・ボミのファンから「こっちが会いに行くのではなく、ボミ選手が食事の場に来てくれる。そして友達のように接してくれる」と聞いたことがある。小さな気遣いや心配りができるから異国の人に愛された。
イ・ボミが”ツアーの顔”として人気を支えた数年を経て、黄金世代がプロで活躍を始めた。スターの役目を果たし下の世代へバトンを繋いでくれた感謝すべき”最強女王”だった。
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