どれだけ有名な占い師であっても、きっと見通せなかった未来だったろう。
現在、私たちの目の前には、かつて私たちが希望を託した、理想を重ねたバレンシアの姿がある。このクラブの、このチームの、この共同体の心臓はもう一度鼓動し始めた。ここには、れっきとした命がある。
クラブ創立100周年にコパ・デル・レイ優勝を果たした指揮官、マルセリーノ・ガルシア・トラルとの別れから2年……。チームは笑顔、プレー、勝利、そして何よりも自尊心を取り戻した。
変化はあまりにも急激だったし、やらせ臭いテレビ番組、悪文だらけのB級小説(それはそれで愛おしい)みたいな趣さえある。が、フットボールはご存知の通りノンフィクションだ。4カ月前に残留を争っていたチームは、特殊メイクなど施すことなく、その姿を急激に変えてしまった。
鍵を握ったのはもちろん、ホセ・ボルダラスの到着である。クラブのオーナーであるシンガポールの投資家ピーター・リムは、自分がスポーツ面の案件に首を突っ込み続ければ、2部降格が現実のものになってしまうとようやく気づいたようだ。
リムは彼の“ゲーム”から手を引き、ボルダラスに“戦(いくさ)”を頼むことにした。そう、前ヘタフェ監督にはバレンシアに自身の全キャリアを賭す心構えがある。自分の生き様を刻み込もうとする監督がいれば、命が輝かないわけが、コウモリが羽ばたかないわけがない。
“ラ・ボルダレタ”は、もう止まらない。“ラ・ボルダレタ”とは何か? 新監督のスタイル、バレンシアニスモ(バレンシア主義の精神)のすべてが乗り込んだ船である。昨季、成果を挙げられなかった選手たちは各試合で全力を尽くすようになり、新戦力も期待を損なうことなく貢献を果たし、ベンチに座る選手たちの表情からも気概がうかがえる……。
そんなチームであるならば、ときにヒステリックと称されるほど要求が厳しいバレンシアニスタ(バレンシアサポーター)たちだって全力でチームを支えていく。本拠地メスタージャで行われる次のレアル・マドリー戦では、約2万9000席のチケットが販売されたが、瞬く間に売り切れとなった。
“ラ・ボルダレタ”の正体
ボルダラスが植え付けた新たな哲学は至極単純なもの。つまりは、「チームのために死ねるか、ここから出ていくか」、だ。ボルダラスは公の場でその言葉を口にしたわけだが、それはパフォーマンスなんてものではなく、ロッカールームの中でも実際に覚悟を問い詰めている。「選手の名前は関係ない。全力を出すか1分もプレーしないかだ」と。
あまりにも厳しい指導法だって? いや、これがジャストだろう。今のチームは各試合で限界のプレーを見せている。一つひとつの球際の争い、次に打つシュートをキャリア最後の勝負と見立てている。
ときには傲慢さも目につくバレンシアクラスの選手たちが昨季までのヘタフェのようなフットボールを実践するとしたら……、ここ10年で彼らに大きく水を開けて、スペイン第三のクラブの座を確固たるものとした、あの赤白のチーム、“パルティード・ア・パルティード(試合から試合へ)”の集団さえ彷彿とさせる。
バレンシアの今季序盤の勢いはまさに圧倒的であり、ボルダラスは記録的なスピードで彼のDNAをチームに組み込んだ。いや、おそらく本来のバレンシアも彼と同じDNAを有していて、それを抽出するために締め付けなければならなかったのだ。
そうして覚醒した選手の一人にゴンサロ・ゲデスがいる。6月、彼の父親は「息子がバレンシアで何をさせられているのか、まったく分からない」と言い放ち、退団を決意した選手は友人たちに別れを告げていた。だがボルダラスと最初に交わした会話から、その決意は失われた。「ゲデスにはチームの象徴的な選手になるべきだと繰り返し言っている」
この言葉を正面から受け止めて去就を翻意したポルトガル人は、ラ・リーガ屈指のドリブル技術と突破力、選ばれし者しか持ち得ない右足のキックを生かしてゴール、アシストを量産。バレンシアはPSGに4000万ユーロを支払い彼を獲得したが、今現在のレベルを維持できるならば、その価値は8000万ユーロはくだらない。
ゲデスのほかカルロス・ソレールの本格的なブレイクも特筆すべきだろう。良い面構えの若造は、ルイス・エンリケ率いるスペイン代表でスタメンも張るなど、正真正銘の良い選手となった。ゴールを決め、アシストもして……と、右サイドで触るものすべてを黄金に変えている。
バレンシアのミダス王(ギリシャ神話の王。触れたものすべてを黄金に変えたとされる)はクラブの下部組織出身であり、それがバレンシアニスタたちの誇りを大きく満たす。背番号10を背負う24歳は今や、同じく下部組織出身の主将ホセ・ルイス・ガジャと並んで、このクラブにとってかけがえのない存在だ。
軍隊のようなチームづくりが良薬
選手たちはボルダラスのことを、大袈裟に言えば寝方まで変えてしまった監督だと評している。
ボルダラスは日々の練習で積極的にコミュニケーションを取るだけではない。選手たちのスマートフォンの着信履歴には「ミステル(監督)」のような登録名がびっしり並ぶ。ヘタフェでは昨季、ついに選手たちの疲弊が見えたが、バレンシアでは今のところ、この“ラ・ボルダレタ”が何よりの良薬なのだ。
効能は凄まじい。マキシ・ゴメスは失ったゴールへの嗅覚を取り戻し、ヘルタ・ベルリンからのレンタルで加わったオマル・アルデレテはDFラインの要となり、Bチームでプレーするはずだったギオルギ・ママルダシュヴィリは、ヤスパー・シレッセンとジャウメ・ドメネクをベンチに座らせてトップチームの正GKになってしまった。それだけでなく、ベンチに座る選手たちだって、もれなくボルダラスに発破をかけられており、その瞳にはメラメラと競争心が燃えている。
そしてもう一つ大切なのが、クルーザーのスピードを獲得したチームに、シンガポールから(物理&距離的にも無謀な)ブレーキを踏んでくる気配がないことである。今夏の補強(マルコス・アンドレ、アルデレテ、ウーゴ・ドゥロ)はすべて監督が管轄していたし、リムの右腕である会長アニル・マーティーにしても相変わらず写真に写り込むのは好きだが、一歩下がってチームを見守ろうとしている。マルセリーノ時代もそうだったが、やはりプロフェッショナルの手に委ねれば、チームというものは機能するのだ。
今季のラ・リーガはまだ第4節までしか終わっていないが、バレンシアの新生はすでに事実として存在する。そう断言できるほど、このチームは微妙なニュアンスなんてものではなく、明らかに生き生きとしている。魂や命が宿ったチームを実際に目にしたいのであれば、今のバレンシア以上の好例などないだろう。
次の日曜、順位表の一番上で並ぶレアル・マドリーとの直接対決で、その事実をぜひ確かめてほしい。もちろん勝つことも、引き分けることも、負けることもある。が、メスタージャは一瞬一瞬に命の火花を咲かせる選手たちのために、心の底から叫ぶことを止めないだろう。コウモリは今一度、その大きな羽を広げたのだ。
文=ディエゴ・ピコ(スペイン『マルカ』バレンシア支局)
企画・翻訳・構成/ 江間慎一郎
1983年生まれ。東京出身。携帯サッカーサイトの編集職を務めた後にフリーのサッカージャーナリスト・翻訳家となり、スペインのマドリードを拠点に活動する。 寄稿する媒体は「GOAL」「フットボール批評」「フットボールチャンネル」「スポニチ」「Number」など。文学的アプローチを特徴とする独創性が際立つ記事を執筆、翻訳している。
ラ・リーガ第5節 日程
日時 (日本時間) | 対戦カード | 解説・実況 |
---|---|---|
9月18日(土) 4:00 | セルタ・デ・ヴィーゴ vs カディス | |
9月18日(土) 21:00 | ラージョ・バジェカーノ vs ヘタフェ | |
9月18日(土) 23:15 | アトレティコ・マドリード vs アトレティック・クルブ | 実:中村義昭 |
9月19日(日) 1:30 | エルチェ vs レバンテ | |
9月19日(日) 4:00 | アラベス vs オサスナ | |
9月19日(日) 21:00 | マジョルカ vs ビジャレアル | 解:小村徳男 実:桑原学 |
9月19日(日) 23:15 | レアル・ソシエダ vs セビージャ | |
9月20日(月) 1:30 | ベティス vs エスパニョール | |
9月20日(月) 4:00 | バレンシア vs レアル・マドリード | 解:中山淳 実:福田浩大 |
9月21日(火) 4:00 | バルセロナ vs グラナダ | 解:小澤一郎 実:倉敷保雄 |
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