カナリア諸島最新のアーティストが道を切り開いた。
ペドロ・ゴンサレス・ロペス。ぺドリという愛称で皆から知られる18歳の若者は、カナリア諸島のフットボールに備わっている価値観、つまりは創造性、テクニック、プレーの喜びを血肉化している。
「一つの人生観、ということなんだよ」。彼の故郷テゲステ、そこにある同名のフットボール・クラブ、UDテゲステでぺドリを指導したルベン・デルガドはそう語った。
ダビド・シルバ、フアン・カルロス・バレロン、ペドロ、ピエル・ルイジ・チェルビノ、トノノらの一門に、ボールを深く愛する選手がもう一人加わった。ぺドリは、フットボールの散文世界における新たな自由詩なのだ。
名手の産地テネリフェ
カナリアの秋は、スペイン本土とはまた異なる趣がある。
私はスペイン・フットボールの新たなセンセーションのゆりかごを見つけるべく、テネリフェ島まで飛んだ。11月末の気温が30度というのが、この島にある現実だ。皆が穏やかな足取りで、ゆったりと仕事をしている。そうした人々の振る舞いは、フットボールのピッチにも反映されている。
「あの山の向こうにテゲステはあるよ」。人々が教えてくれる。その通りに曲がりくねった道路を進んで行くと、田舎町が見えてきた。緑の山々と畑に囲まれたそこは静かで、落ち着いていて、数キロ先にある海の香りも漂ってくる。
テゲステの人々は、自分たちの町からエリートの選手が産まれることに慣れっこといった感じだった。というのも、元バルセロナのジェフェレン・スアレスやシャルケの現主将オマール・マスカレルも、ここで育っていったのだから。
しかし、それでも彼らは口々に語る。「ぺドリはまた別物さ。誰とも比較できやしない」と。ロナルド・クーマン、ひいてはスペイン全土を魅了している若者を生んだ町では、今、私がテレビで目撃するようになった彼のプレーを、何年も前から目にしていたのだった。
「あいつは、ロス・ラウレレスと同じプレーを見せている」。そう話すのはぺドリの親友の一人、ダニだ。ロス・ラウレレスはUDテゲステの本拠地で、ぺドリは3歳の頃からそこでプレーし始めている。彼の父親は、あまりにも小さかった息子にフットボールをさせるため、特別な許可を得なければならなかった。ぺドリは2歳年上の兄のフランシスコに手を引かれて、ただ楽しむためだけにロス・ラウレレスでボールを蹴るようになった。
テゲステで始まった物語
たとえ初めて訪れたとしても、テゲステという町はあなたを抱きしめる。歓迎してくれる。「バルセロナからやって来たのかい? あいつは可愛らしかったんだ」。そんなことを口にしながら。
この田舎町に住む1万1000の人たちは、たった数年前までサン・マルコス教会の前でプレーに興じていた若者の物語を知悉している。「ぺドリの父親は、あの花屋に何度も弁償しなければならかったのさ!」、近所の人はそんな冗談をのたまう。それはぺドリとその兄がボールを転がしながら歩き始めた通りに、花屋があるためだった。
ぺドリの家族は、テゲステにあるそんじょそこらの家族ではない。広場には、そんなことを実感させる郵便配達人の銅像がある。町の人たちに“アントニート”という愛称で親しまれるその銅像の人物は、アントニオ・ゴンサレス。ぺドリの大叔父にあたり、50年にわたってこの町で手紙を配達し続けた人だっだ。
ぺドリと兄のフランシスコがフットボールに取り組み始めたのは、今から15年前のこと。“おチビちゃん”は、もうその頃から年上に囲まれてプレーしていた。「ユニフォームは膝まで届いて、袖も肘の下にあったよ」。そう語るのは、ぺドリにとって最初の監督だったテレスフォロ・ロドリゲスだ。
「ぺドリはフットボールをその血管に流して生まれてきた。テレビで何かしらのプレーを見ると、翌日にピッチでそれをやってのけた」。現バルセロナMFの一番目の指導者が、澄み切った目としわがれた声で述懐していく。振り返る思い出が、彼を感動で満たしていった。「彼を指導できたことは、私の誇りなんだ」
私は町外れにあるロス・ラウレレスに向かった。そこは見事な施設であり、スタンド付きのピッチ、その奥にバル、さらには陸上トラック、7人制フットボールのコートもあった。緑と山々に囲まれたこの場所にいると、ここがカナリアではないようにも思える。まあ、膨張した水銀が指し示す30度という気温に、疑いようはないのだが。
ロス・ラウレレスで私を待ち受けていたのはフランとダニ、ぺドリの幼い頃からの友人たちである。彼らの親交は今でも続いていて、一緒にFIFAをプレーしたり(これだけでもスペシャルなレポートができそうだ)、毎日ワッツアップでメッセージを送り合ったりしている。「俺たちは凄まじいチームだった」。そうやって思い出話を始めたのは、現在はテネリフェのフベニール(U-17〜19)に所属するフランだ。
彼ら3人が一緒になってプレーしたUDテゲステのアレビン(U10〜11)は、この田舎町の記憶に深く刻まれている。彼らを擁したUDテゲステは、リーグ戦でテネリフェ島の王者に輝く寸前のところまで躍進。優勝を妨げたのは、現在フランが通っているこの島の最大クラブだけだった。若きぺドリがプレーしていたチームは「一時代を築いた」のである。
フランとダニとの話し合いには、当時ぺドリを指導したルベン・デルガドも参加していた。あの伝説のアレビンのチームについて「素晴らしいグループだった」と胸を張る彼は、「ヤツは5人をかわして、挙句にはチームメートにゴールをプレゼントしていたのさ」と、まだ幼かったペドリの今と変わらぬ怪物ぶりを述懐。するとダニが満面の笑みで、「ボールを押し込んでいたのは、この俺だよ!」と口を挟んできた。
ストリートという学校
私はテゲステを歩き続ける。ポブレス通りを下っていくと広場みたいな場所が見えてきて、4メートルほどの柵の後ろにここの人たちから説明を受けていたものを発見した。フットサルのコートだ。セメントづくりで、グラフィティだらけの壁によって装飾がされている。私は少しずつ、カナリアのフットボールというものを理解し始めていた。ここのフットボールは、ストリートやビーチによって鍛え上げられる。何にも縛られないこの町の、この地元独自のフットボールが存在しているわけだ。今、目の前にしている、このフットサルコートのように。
ぺドリの幼少からの友人フランによれば、町の子供たちは毎週日曜になるとこのコートに集まって、1日中、何試合もプレーに興じていたという。存在していたルールはたった一つで、勝ったチームが次の試合も戦うことができた。誰もが知る“コートの掟”、というやつである。
「日曜日はずっとここにいられた。午後3時から夜11時までね」。フランの声が、私を彼らの思い出の中へと引きずり込んでいく。「12歳くらいだった俺たちは、年上のチームを次々と打ち破っていったんだ! ぺドリは……、もう本当にやばかったよ」。彼は続けた。「あの頃のぺドリはアンドレス・イニエスタになりたくて、できる限り似せようと髪も短く刈り込んでいたね」
テゲステのフットサルコートを見たあと、私の頭にはある疑問が浮かんでいた。カナリア産フットボーラーはなぜ、世代を超えながらも一つの典型を保っているのだろうか? 私はその答えを見つけようと車に乗り込み、テゲステから6キロほどの距離にあるサン・クリストバル・デ・ラ・ラグーナへ向かった。
フベントゥ・ラグーナはペドリがインファンティル(U-12〜13)だった頃に加入したクラブで、彼はそこで2シーズンを過ごした後にラス・パルマスへ渡った。フベントゥ・ラグーナで、カデテ(U14〜15)の年代だったぺドリを指導したアヨセ・エルナンデスは、カナリアのフットボーラーについて、こう論じる。「私たちカナリア諸島の人間は選手としては小さく、それを技巧的に補おうと試みている。バスク人は力強く、それに比べて自分たちは小柄なのさ」。
クラブの会長フリオ・エルナンデスもこの会話に加わると、ぺドリについて一つの思い出を語ってくれた。「ぺドリはまだカデテの年齢だったが、私はトップチームに昇格させることをためらわなかった。彼は地域リーグの試合に出場して、勝利を導いていったのさ」。身長の低さは、問題にならなかったのだろうか? 彼らに思い切ってそう質問してみると、不可解な顔をしてから、はっきりとした答えを返してきた。
「彼の頭の回転は何よりも、誰よりも速い。フィジカルなど必要なかった」
「監督は自分の仕事に情熱を持つことが必要で、なおかつ素晴らしい伝達者、育成者でなければならない」。そのような信条を語ったのは、ラス・パルマスのスポーツディレクターで、ぺドリのバルセロナ移籍にも深く関わったトノノだ。「私に課せられた義務は、カナリアのフットボーラーに備わっている創造性を伸ばしていくことにほかならない」。
自由で、想像的でありながら、同時に素朴でもあるフットボール……。カナリアのフットボールは詩そのものであり、そしてぺドリのようなアーティストは自由詩なのである。
静かなるリーダー
一つの答えをポケットに詰め込んだ私は再び車に乗り込み、テゲステへ踵を返した。向かった先は、マリア・デル・カルメン・フェルナンデス・メリアン学校。ぺドリがスペインの初等教育を学んだ場である。
校長のマリア・ホセは満面の笑みでもって私を迎え入れてくれた。彼女は「ぺドリがこの校庭を走り回っていたのが、まるで数日前のように思えます」と自慢げに話し、「彼にはいつも気品みたいなものがあって、授業を受ける態度も素晴らしかったですね」と続けた。ぺドリの人柄の良さは、子供の頃から備わっていたもののようだ。
加えて、4年にわたって彼の担任教師だったマリア・セラーノは「彼は無口なリーダーでした」と語り、「バルサのユニフォーム姿で授業を受けることもありましたね。彼のカタルーニャに対する情熱は、幼い頃に祖父のフェルナンドから植えつけられたものでした」と付け足した。
学校の校庭にはフットボールのピッチが2面あり、そこからは海も見渡せる。「どんなスポーツを実践しようと一切関係ありませんでした。ぺドリにとっては、何よりも勝つことが大事だったんです」。同校の教師ホセ・エステバン・スアレスが言う。「成績的にとても優秀な子、というわけではありませんでしたが、しっかり科目を習得していきましたね」。ここの人たちによれば、ぺドリはとても親しみやすい人間で、テゲステを心の底から愛しているようだ。
実際、ペドリは暇を見つければ、気分転換のために故郷に戻ってくるという。「9月に、ここで数日間を過ごしている彼に会いましたよ。いつものように挨拶を交わしましたね。彼は学校に通っていた頃と何ら変わっていません。まあ、そのときには一緒に写真を撮らせてもらいましたけど。私から彼に頼んだんですよ」。マリア・セラーノが告白した。
ぺドリがバルサでブレイクを果たしてから、テゲステの町は注目の的となった。「私があなたをこの学校に迎え入れたのは、彼の父親から連絡があって、そうするよう頼まれたからなんです」。学校の人たちからそんなことを言われた。
現在、この町のあらゆる場所が記者たちから取材を求められている。そして最たる花形と称せる場所が、タスカ(居酒屋)・フェルナンドであることに疑いの余地はない。そこはぺドリの祖父フェルナンドが開店し、今は同名の父親が切り盛りするバルである。皆からはフェルナンと呼ばれる父親と叔父のホセ・ルイスがカウンターとテーブルで接客し、料理をつくるのは母親カンデラリアと父方の祖母だ。私はタスカで食事の予約をしていた。では、行ってみるとしようか。
タスカ・フェルナンド
私は“ぺドリの世界”に足を踏み入れた。
入口から左の壁は家族写真と祖父フェルナンドを中心とした創業当時の写真であふれており、フェルナンドがラス・パルマスの選手だった頃の写真も何枚かある。そして右の壁は上から下まですべてぺドリ用で、バルセロナのユニフォーム姿の写真や新聞の1面、彼のサイン入りユニフォームが飾ってあった。「家族写真はもうすぐ、ぺドリの新しい写真と取り替えることになるね」。そこにいたUDテゲステの元会長チェマ・ロペスが、そんな予言をした。
フェルナンは私をテーブルにつかせると、大きな笑みを浮かべて歓迎の言葉を述べた。その笑顔はまさに、幸せと誇りに満ちる父親のそれだった。息子がバルサの選手となり、プレシーズンにクーマンに感銘を与え、クラシコでスタメンを張った……。それらすべてが、たった4カ月の間に起こったのだから、無理はない。
しかし私が調子はどうだと聞くと、バルの抱える問題が浮かび上がってきた。タスカには本来、テーブル席が15あるのだが、COVIDのせいで半分まで減らす必要があったのだという。謙虚なぺドリ一家はそれでも毎日、店を開いて、働き続けている。息子が誰もが羨む契約を交わしたというのに……。それがぺドリ、彼を支える人々の在り方なのだ。
二人息子のぺドリとその兄はバルセロナで一緒に住んでおり、フェルナンとカンデラリアは週末、可能なときに彼らに会いに行く。「そうできるときには、だがね」と、あきらめ気味にフェルナンが語った。彼は「パンデミック下では思うようにいかない。ぺドリが可能な限り人と接触しないよう頼まれているんだ」と言葉を続け、カンデラリラが「あの子たちに会えなくて、とても寂しいのよ」と、ため息を漏らした。
息子が大きな成功をつかんだにもかかわらず、タスカはごく普通のバルと変わらない佇まいだった。「でも、この店はすでにタスカ・フェルナンドじゃないよ。もうタスカ・ぺドリなのさ」。馴染み客がそんな冗談を口にした。
運命とぺドリ
私はタスカの名物料理“タスカ・フェルナンドの詰め物”をいただいた。その料理はジャガイモ、ズッキーニ、玉ねぎに肉を詰めたもので、本当に美味だった。
店を出ると、私はペーニャ・バルセロニスタ・デ・テネリフェの本部へ向かった。そう、テネリフェ島のバルセロナ公認サポータークラブは、ここテゲステに拠を構えている。ペーニャの創設者はぺドリの祖父フェルナンドで、現会長は父親フェルナンだ。本部ではフェルナンの親友で、ペーニャの副会長でもあるオスカル・レデスマが私を待っていた。
ぺドリはやはり、生まれたときからバルサのファンだった。オスカル曰く、彼は自分のベッドでチャンピオンズリーグと一緒に眠っていたのだという。それは2009年にバルサが史上初の三冠を達成したときのこと。クラブはその際、三つのトロフィーのレプリカをすべてのペーニャに配った。テネリフェにトロフィーが到着すると、フェルナンがそれらを家に持ち帰り、その夜、ぺドリは一緒に寝ていた人形をビッグイヤーに取り替えたのだった。彼が7歳の頃のことだ。
ぺドリのバルサとカタルーニャへの愛情は、祖父フェルナンドから受け継がれている。「驚かないでくれよ。ここテゲステで“クレたち(バルセロナサポーターの愛称)”や“カタルーニャ人たち”と言えば、ぺドリの家族を意味しているんだ」。オスカルが語った。
実際、2017年にペドリがレアル・マドリーの入団テストを受けたとき、オスカルはあらゆる情報網を駆使して、バルサの入団テストも受けさせようと試みたのだった。最終的に、運命はぺドリの味方をしている。フベントゥ・ラグーナに残ることになった彼は、その後にラス・パルマスへと移籍し、そこでバルセロナ加入を内定させたのだった。
「あいつはいつだって、あらゆることで運に恵まれてきた」、ぺドリの子供の頃から友人エクトルは言う。「信じられないよ。でも今、俺たちはあいつのことをテレビで目にしている。あいつはあそこにいるんだ。まるで、フォトショップで加工したみたいに」
こうして一日が終わり、私はテゲステを去った。ぺドリがこの町で特別な精神性に包まれて育ち、それが彼に内在するフットボールを花開かせた。そう、確信しながら。彼はテゲステで自由に空を飛んでいた。好きなようにボールを蹴る彼のことを、誰も邪魔しようとはしなかった。
2020年11月、ぺドリはスペインで成人と認められる18歳になった。巨人たちの世界で戦い続ける日々は始まったばかりだが、彼を彼たらしめてきた“童心”を忘れることは、決してないはずだ。
文/マルク・マルバ(Marc Marbà)
翻訳= 江間慎一郎
1983年生まれ。東京出身。携帯サッカーサイトの編集職を務めた後にフリーのサッカージャーナリスト・翻訳家となり、スペインのマドリードを拠点に活動する。 寄稿する媒体は「GOAL」「フットボール批評」「フットボールチャンネル」「スポニチ」「Number」など。文学的アプローチを特徴とする独創性が際立つ記事を執筆、翻訳している。
ラ・リーガ 順位表
※第29節終了時点
順位 | 点 | 勝 | 分 | 敗 | 差 |
---|---|---|---|---|---|
1 アトレティコ・マドリード | 66 | 20 | 6 | 3 | +32 |
2 バルセロナ | 65 | 20 | 5 | 4 | +44 |
3 レアル・マドリード | 63 | 19 | 6 | 4 | +28 |
4 セビージャ | 58 | 18 | 4 | 7 | +19 |
5 レアル・ソシエダ | 46 | 12 | 10 | 7 | +16 |
6 ベティス | 46 | 14 | 4 | 11 | -3 |
7 ビジャレアル | 46 | 11 | 13 | 5 | +11 |
8 セルタ・デ・ヴィーゴ | 37 | 9 | 10 | 10 | -6 |
9 グラナダ | 36 | 10 | 6 | 13 | -15 |
10 アスレティック・ビルバオ | 36 | 9 | 9 | 11 | +6 |
11 レバンテ | 35 | 8 | 11 | 10 | -3 |
12 バレンシア | 33 | 8 | 9 | 12 | -5 |
13 カディス | 32 | 8 | 8 | 13 | -19 |
14 オサスナ | 31 | 7 | 10 | 12 | -12 |
15 ヘタフェ | 30 | 7 | 9 | 13 | -11 |
16 ウエスカ | 24 | 4 | 12 | 13 | -16 |
17 バジャドリード | 27 | 5 | 12 | 12 | -13 |
18 エルチェ | 26 | 5 | 11 | 13 | -17 |
19 エイバル | 23 | 4 | 11 | 14 | -13 |
20 アラベス | 23 | 5 | 8 | 16 | -23 |
※1~4位がチャンピオンズリーグ出場権、5位がヨーロッパリーグ出場権を獲得。18~20位は自動降格。
ラ・リーガ日程
第30節
開催日 | キックオフ (日本時間) | 試合 |
---|---|---|
4/10(土) | 4:00 | ウエスカ vs エルチェ |
4/10(土) | 21:00 | ヘタフェ vs カディス |
4/10(土) | 23:15 | ビルバオ vs アラベス |
4/11(日) | 1:30 | エイバル vs レバンテ |
4/11(日) | 4:00 | レアル・マドリード vs バルセロナ |
4/11(日) | 21:00 | ビジャレアル vs オサスナ |
4/11(日) | 23:15 | バレンシア vs ソシエダ |
4/12(月) | 1:30 | バジャドリード vs グラナダ |
4/12(月) | 4:00 | ベティス vs アトレティコ |
4/13(火) | 4:00 | セルタ vs セビージャ |
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