5月8日、ジネディーヌ・ジダン監督はセビージャ戦の前日会見に遅れて出席した。なぜ予定時刻を過ぎても姿を表さなかったのか、その時点では誰も想像していなかった。
私たちがジダンを待っている間、彼の言葉は練習終わりの選手たちに向けられていた。選手たちが静かに聞いていた言葉は、明確に別れを告げるものではなかったものの、大多数がそういう意味だと受け止めている。7月第2週から始まる来季プレシーズンでは、このフランス人とは違う監督がチームを率いることになるのだ、と。
選手たちからそのやり取りを聞きつけたスペインメディアは、「ジダン退団」を大々的に報じることになった。指揮官本人はその後、「タイトルがかかっている状況で、私が選手たちに退団する意向を伝えるなど、断じてない」と一蹴したが、選手たちが彼の言葉から退団すると感じたのも、確かなのだろう。
織り込み済みのジダン退団。後任候補は…
ジダンが不快感と憤りを覚えているのも、漏れ伝わっていたことだった。
多くの問題を抱えた今季、彼は自身が率いるコーチングスタッフの仕事ぶりに疑問を持たれるのが我慢ならなかった。悪い結果を手にする度にクライシスが叫ばれ、フィジカルの準備や対戦相手の分析、練習内容が劣悪なのだと批判される状況は異常だと感じていた。……負傷者がとめどなく続出して、メディカルスタッフの間に大きな亀裂も走る中で。
一方で、レアル・マドリーのクラブオフィスでは数週間前からジダンが来季も続けることを望まない、との確信を持っていた。上層部はその確信を持つ前、DFセルヒオ・ラモスとの契約交渉が難航した2月からすでに動き始めていた。そう、ジダンの去就はセルヒオと一蓮托生となっている。
フロレンティーノ・ペレス会長は来季にチームを刷新させることを考慮しているが、もしジダンが去るならば、チーム内の重鎮中の重鎮となったキャプテンも去らなければ刷新は実現しない。新たなサイクルは生まれないと思っているのだ。
クラブの理事会は、ジダンの後任監督についてすでに話し合いを始めている。有力候補として挙げられるのは、現在レアル・マドリー・カスティージャ(Bチーム)を率いるクラブのレジェンド、ラウール・ゴンサレスだ。
ラウールはマドリーの象徴的存在というだけでなく、DFミゲル・グティエレス、DFビクトール・チュスト、MFアントニオ・ブランコ、MFセルヒオ・アリバス、MFマルビン・パク、FWウーゴ・ドゥロと、今季ジダンがトップチームで起用する若手選手たちを磨き上げた。彼はアルフレド・ディ・ステファノ、ビセンテ・デル・ボスケ、そしてジダンに続いて、マドリーで選手、監督の両方を務めることになるのだろう。「私は自分の家にいるために監督になった」と、ラウール本人がそう語っていたように。
ただし、ラウールが来季からトップチームを率いるかは、まだ決まったわけではない。理事会の中には、彼に任せるのはまだ早計との意見を発するメンバーも存在している。そのために挙げられているもう一人の候補が、マッシミリアーノ・アッレグリだ。マドリーはすでにアッレグリと接触をしており、イタリア人指揮官は最終的なオファーを待っている状況だ。しかしながら古巣ユヴェントスやナポリも彼に興味を持っているために、時間的にそこまでの余裕はない。いずれにしても、すべては今季ラ・リーガが終了してから明らかになることだ。
マドリーはまだ死んではいない
マドリーはまだ、ラ・リーガで生き残っている。
もちろん、首位アトレティコ・マドリーとは勝点2差で、最終節での逆転優勝はほとんど奇跡的所業となるだろう。マドリーは優勝した過去34回のラ・リーガで、首位ではなく最終節を迎えてトロフィーを掲げたことが一度もない。首位の座を失うことはあっても、逆転したことは一度もないのだ。
今回の優勝の条件は自分たちがビジャレアルとの試合に勝利して、アトレティコがバジャドリーとの一戦を引き分け以下で終えること。不可能なことのようにも思えるが、しかし可能性は少なからず存在しているし、マドリーのロッカールームではこんな言葉が飛び交っている。
「今季のマドリーの軌跡を見て、自分たちが死んだとみなす人など、どこにもいないはずだ」
今季、財政難による補強不足、プレシーズンがほぼないぶっつけ本番、それに伴う負傷者続出、さらに新型コロナ感染……と、じつに多くの困難に見舞われたマドリーだが、それでもシーズンの最後までタイトル争いを続けた。ラ・リーガではここ17試合無敗(12勝)と、ジダンの率いるチームがすでに死んでいるという感触はまったくない。むしろ、彼の別れのニュアンスを伴った言葉を受け止め、ラ・リーガを手向けのタイトルにしようと奮起する選手たちも多い。
エル・シダンの伝説
今季のジダンを見ていると、エル・シド(El Cid)の伝説が思い出される。
日本の人々にとってエル・シド、本名ドン・ロドリゴ・ディアス・デ・ビバールの伝説は、馴染み深いものではないかもしれない。11世紀、カスティージャ王国の騎士であった彼は、アルフォンソ王に王国から追放されたものの、その後に彼を慕う多くの兵士たちともにバレンシアの征服を目指して、“死後”になってからついにイスラム教徒たちを退けたとされる。
伝説では、兵士たちは愛剣ティソーナを握ったエル・シドの死体を愛馬バビエカに乗せて攻撃を仕掛け、アラブ人たちはその異様な光景に恐れをなして撤退していったとのことだ。
ジダンがシーズンを通して率いたチームはこれまで、一度だってメジャータイトルを獲得し損ねたことがない(2015-16シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ(CL)、2016-17シーズンにCLとラ・リーガ、2017-18シーズンにCL、そして昨季にラ・リーガを獲得)。エル・シド、いや、“エル・シダン(El Cidane)”は、たとえ今季で再び監督の座を降りようとも、たとえ死したとしても、結局は栄光をつかむような気がしてならないのだ。
少なくともジダンを慕う兵士たちはもう一度だけ、彼を胴上げをすることを望んでいるはずだ。
文=ミゲル・アンヘル・ララ(Miguel Angel Lara)/スペイン『マルカ』レアル・マドリー&スペイン代表番記者、江間慎一郎
翻訳= 江間慎一郎
1983年生まれ。東京出身。携帯サッカーサイトの編集職を務めた後にフリーのサッカージャーナリスト・翻訳家となり、スペインのマドリードを拠点に活動する。 寄稿する媒体は「GOAL」「フットボール批評」「フットボールチャンネル」「スポニチ」「Number」など。文学的アプローチを特徴とする独創性が際立つ記事を執筆、翻訳している。
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