今シーズン、シモーネ・インザーギ指揮下のインテルで公式戦41試合に出場し、印象的な活躍を見せるバストーニ。そんな23歳のイタリア代表DFが『ダゾーン・イタリア』の特番「Day Off」に出演した。
バストーニはイタリア北部クレモーナ県の人口わずか3000人の町、ピアーデナで少年時代を過ごし、近所の子どもたちと一緒に、教会の施設でサッカーを始めた。アタランタが彼の才能を見出したのも、そのアスファルトのピッチの上だった。インテルDFは当時を振り返る。
「僕はかなりおとなしい子だったので、サッカーチームに入って同世代の子たちと上手くやっていくのは難しかった。だから学校の友だちと一緒に、教会の施設でサッカーを始めたんだ。バスケットボールも好きだった。バスケを通じてたくさんの友だちとも知り合い、その1人がブレシアでプレーする(イタリア代表の)アメデオ・デラ・ヴァッレなんだ」
バストーニを開花させた2人の恩師
バストーニは2018年夏まで過ごしたアタランタ時代の恩師ジャン・ピエロ・ガスペリーニや、昨シーズンにインテルで指導を受けたアントニオ・コンテに言及した。
「ガスペリーニは僕にとって重要だった。当時はもうヨーロッパの舞台を目標に戦っているビッグクラブだったが、まだ17歳かそこらの僕をすぐにトップチームに呼び寄せてくれたんだ。僕も監督の信頼に応えることができたと思っている」
「僕の才能を完全に開花させてくれたのは、コンテだった。技術面だけでなく、精神面でも様々なことを学び、現在の僕の9割はコンテのおかげだと思っている。誰もが20歳でインテルのレギュラーになれるわけではない。とても感謝しているよ」
背番号95番とニックネームの秘密
アタランタ時代から「95」を背負ってプレーしているバストーニ。その背番号を選択した背景には、きょうだいとの約束があった。「95番は1995年生まれの兄のために選んだんだ。初めてのユニフォームの背番号は、彼の生年月日にちなんだものにすると約束していた」と明かした。
インテルでは、“ジェリー”の愛称でチームメートから親しまれているが、その名付け親は、パルマ時代からの同僚でもあるフェデリコ・ディマルコだった。
「すべてはパルマで始まった。あの頃、ディマルコは選手全員を動物の名前で呼んでいた。例えば“大ネズミ”とかね。僕は手足が長いのでジラッファ(キリン)のキャラクターからジェリーと呼ばれるようになった。インテルでも、監督を始めとしてスタッフ全員からそう呼ばれている。僕の本当の名前を知らないんじゃないかとも思うけど、親しみがわくニックネームだよ」
キャリアを支えた父親と15歳で失くした親友
最後にバストーニは、自身のサッカーキャリアを支えてくれた父親について語ったほか、15歳の時に幼稚園の頃からの親友を失くしたことを明かした。
「父も若い頃、カルチョをプレーしていたが、プロになることができなかった。だから自分の失敗を踏まえて何をすべきかを僕に伝えてくれた。練習の時はベルガモまでの往復を付き添ってくれた。だから父とはかなりの長い時間を一緒に過ごしてきたし、強い家族の支えがなければ、ある種の目標を達成するのは難しかったように思う。だから家族は僕の強みと言えるだろう」
「娘の名前はアッズーラ・ネーラ(インテルのチームカラーである青・黒)にしようかとも考えていたが、アッズーラ・アニェーゼに決めた。アニェーゼは、幼稚園の頃からの親友の名前なんだ。U-16イタリア代表のノルウェー遠征中に父から彼女が亡くなったことを知らされた。当時は15歳だったし、強い衝撃を受けた。今でもピッチに入る前に、彼女に捧げるジェスチャーをしたり、寝る前に彼女のことを考えている」
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