かつてユヴェントスやレアル・マドリードなどで活躍し、2006年にはイタリア代表主将としてFIFAワールドカップ(W杯)を制し、バロンドールを受賞したカンナヴァーロ氏。現役引退後は、サウジアラビアや中国で指導者としてのキャリアを歩んできたイタリア人指揮官が『ダゾーン・イタリア』の特番「Linea Diletta」に出演し、過去のエピソードを明かした。
ナポリの拠点スタディオ・ディエゴ・アルマンド・マラドーナからほど遠くないフオリグロッタ地区に生まれ、サッカー選手としてのキャリアを歩み始めたカンナヴァーロ氏。現役時代に偉大なキャリアを築き、ヨーロッパや世界へと羽ばたいた後も、生まれ故郷との絆を大切にしてきた。
「私はナポリから遠く離れていたが、私のルーツはここにある。常にこの街との強い絆を持ち続けた。ナポリっ子以外に、この絆について説明するのは難しいが、この街は人の心をつかむと、決して離れないんだ」
亡きマラドーナとの思い出Fabio Cannavaro DAZN
ナポリの下部組織で育ったカンナヴァーロ氏。1984年から7シーズンにわたってナポリで活躍し、クラブ史上初のスクデットをもたらした今は亡きレジェンド、ディエゴ・マラドーナ氏の姿を胸に刻んでいる。
「ディエゴのいるナポリは無敵であるように感じられた。彼に出会えたことは幸運だったと思う。彼のことを悪く言う者は誰もいなかったし、まさにピッチにおけるリーダーだった。チームに自信と勝利への意欲を与えてくれた」
「ある日、トップチームとプリマヴェーラのチームで親善試合が行われた際、私はディエゴにタックルを仕掛けた。するとディレクターから『ファビオ、もっと手柔らかにしろ!』って怒鳴られたんだ。だがディエゴは私を慰めてくれたよ。それから仲良くなり、シューズをプレゼントしてもらった」
ナポリを救うためのパルマ移籍
その後、1993年3月にクラウディオ・ラニエリ指揮下でセリエAデビューを飾ったカンナヴァーロ氏。だが1995年夏、パルマへの移籍を余儀なくされた。ローマにキャリアを捧げたフランチェスコ・トッティ氏やミランのパオロ・マルディーニ氏とは異なり、財政難のクラブのために移籍金を残すことでナポリ愛を示した。
「退団した時は大泣きした。(当時のオーナー、コッラード)フェルライーノから電話があり、『君がパルマへ行かなければクラブは破たんする。そうなったら君のせいだ』と言われた。それで移籍を決断した。故郷のクラブでプレーし、優勝することは選手全員にとって夢だ。トッティはキャリアを通じてローマでプレーする幸運に恵まれたが、彼とミラノのマルディーニは例外的存在だ。カルチョを通じて新たな経験を得ることはできるが、この街と強い絆を結んでいることは私にとって重要だった」
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