いったい、スカウトの人はどのような仕事をしているのか。その疑問に答えてくれたのはJリーグ開幕の翌年に鹿島アントラーズのスカウトに就任し、そこからスカウト一筋28年の椎本邦一氏。1年間のスケジュールやスカウトとして働く上で大事なこと。そして、これまでの選手獲得時のエピソードを教えてくれた。
シーズンスタート直後の2月頃に来季の新人選手の補強ポジションを決めるところからスカウトの1年は始まり、その後は全国各地で行われる大会の現場を転々。「昔は1年に300試合くらい見ていて家にはいなかった。最初は顔を売って名前を覚えてもらわないといけなかったし、昔の先生はなかなか覚えてくれなくて同じ監督に名刺を3回くらい渡したこともある(笑)」と懐かしむように振り返り、「行きたい試合ばかりだけど全部は行けないから段々とイライラしてきて頭がおかしくなりそうになっていた」と明かした。
スカウトに必要な能力を問われると、迷わずに「コミュニケーション能力」と回答。「高校の監督に本音を言わせないといけない」と理由を説明し、さらに流儀としていることを聞かれると「嘘を付かないで正直に話をすること」と答えた。
小笠原満氏男や本山雅志氏、内田篤人氏や柴崎岳など数々の選手を獲得してきた椎本氏であるが、獲得できなかったことで忘れられない記憶として残っている存在がいる。それは、高校卒業後すぐに海外挑戦を選んだ宮市亮(現横浜F・マリノス)。「オファーを断られたときは失恋したときと同じ思い」と明かす椎本氏が当時を振り返ってくれた。
「たぶん、Jリーグなら鹿島に来てくれていたと思う。彼は断りにわざわざ名古屋から菓子折りを持って会いに来てくれた。最初、電話で話して『来なくていい』と言っていたのに本当に鹿島まで来てくれて、30分くらい話して帰っていったよ。その時点ではチームは決まっていなかったけど、『海外でやりたい』と言っていた。だから、よくネタとして使うんだけど、『俺はベンゲルに負けた』って言っている(笑)」
さらに、これまで最も争奪戦を繰り広げた選手として名前を挙げたのは柳沢敦氏。「いまでも高校年代で一番のFWだと思っているのはヤナギ。上手いしボールのないところの動きが本当にできていた。ダイレクトでボールを落とす技術も上手かった」と絶賛した。そして、話は内田氏を獲得した経緯に展開。高校2年生のときの第一印象としては「足が速くてアップダウンできる。守備はクエッションだったけど、守備はバカじゃなければできるだろうと思っていたし、けっこうキックが上手かった」と振り返った。
また、長い間、様々な選手を見て来てスカウトの視点から現代の日本サッカーに提言。「スターがいないし、似ている選手が多い。見ていて、みんな“上手い”と思うけど、“欲しい”と思う選手がいない」と実情を明かしてくれた。
最後には、椎本氏から内田氏に“逆オファー”。「岩政が監督をやっている間に鹿島に戻ってきて一緒にスタッフとしてやってもらいたい」と願いを伝え、「顔は売れているし、楽だと思うよ」とスカウトを勧めた。
まだまだ奥の深いスカウトの仕事。ただ、スカウトの存在がなければプロサッカー選手が生まれないことはほとんどであり、各クラブともにスカウトがそのクラブのカラーを決めていると言っても間違いではないだろう。
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