タイミングを見計らったかのようにキックオフ直前から降り出し、次第に強くなっていった雨は、スタジアムでプレーした選手たちと集まったファン・サポーターの人たちの感情を表しているようだった。偉大な人を失ってしまった悲しみや寂しさ。久しぶりに集まってボールを蹴ることができた嬉しさや楽しさ。さまざまな思いが交錯した時間がフクアリには流れていた。
オシムジャパンレジェンドの一員として、前半は本職のCBでプレーし、後半途中からはFWに入りハッスルプレーで盛り上げた田中マルクス闘莉王はしみじみと言った。
「久しぶりにみんなとプレーできて楽しかったけど、最後にビデオメッセージを観て泣きそうにもなった。あのときの代表で一番怒られたのは俺だったんじゃないかな」
オシムジャパンでA代表デビューを果たし、「大切な思い出」と語る72番を背負いプレーした梅崎司も当時を思い出し言葉にする。「19歳で代表に呼んでもらえた。それに尽きる。あのときの頭では理解できなかったこともあるけど、いまにつながっていることは多い」。数少ない現役Jリーガーとして、後半早々にはオシムさんに捧げるゴールを決めた。
オシムジェフレジェンドの1トップに入った巻誠一郎は、どこか嬉しそうに恩師との思い出を回想し、懐かしそうに話してくれた。
「やりながら当時のサッカーを思い出していましたね。誰かがここに走ったら僕はここに走らないといけないとか、オシムさんのサッカーは走ることがベースで走れないとあのサッカーはできないと痛感しました。僕はあまり『ブラボー』と言われた覚えがないんですよ(笑)。ただ、言ってもらえたのは、自分がゴールを決めたときよりも、誰かのために献身的な動きをしたときだったと覚えています」
「オシムさんに出会わなかったらいまの自分はない」と感謝を述べたのは、久しぶりに黄色の6番のユニフォームを着て腕章を巻き、フクアリのピッチに立った阿部勇樹である。「サッカーは走らないと成り立たない。点を取りに行く。ゴールを守る。味方のミスをカバーする。いまはプレッシングやプレスバックといった言葉があるけど、要するに走るということ」とオシム監督の教えを口にし、指導者に転身したいま、次世代の選手たちに伝えていきたいと決意を新たにした。
この日、フクアリに集まった人たちは再確認したはずだ。オシム監督は“生きている”と。それぞれがそれぞれの場所で思いを抱えながら、「1歩を踏み出す勇気」(巻)を持って歩んでいけば、いつの日か「Bravo(ブラボー)」の声が聞こえてくることだろう。
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