取材・文=舩木 渉
写真=KMSK Deinze, IMAGO_Sportpix
舞い込んだ欧州移籍のチャンス
2023年4月1日、欧州の地で一人の若者が大きな一歩を踏み出した。
ベルギー2部残留プレーオフ第5節、KMSKデインズに所属する宮本優太はSL16フットボール・キャンパス(スタンダール・リエージュII)戦に61分から交代出場。念願の公式戦デビューを飾った。
「苦労した中でデビューを迎えたので、今まで以上にホッとした気持ちもありましたし、試合ができる嬉しさをすごく感じることができました」
宮本はデインズが4点目を決めた直後にピッチへ送り出された。すぐに果敢な攻撃参加でシュートまで持ち込む場面を作るなど積極的なプレーを披露。守備でも大きな穴を空けることなく踏ん張り、5-0での大勝に貢献した。
「練習からいいパフォーマンスができていると思っていたので、監督にもずっと『使ってほしい』とお願いしていましたし、『出してくれたら何かしら結果を残せる』と常に言っていました。(デビュー戦で)数字としての結果は残せなかったですけど、自分の長所に関しては、1試合目にしては出せたかなと思います」
(C)IMAGO_Sportpix
流通経済大学から浦和レッズに加入し、プロ1年目だった2022シーズンはJ1でリーグ戦15試合に出場。「ACLを獲りたい」という強い思いもあり、2023シーズンに向けて他クラブへ移籍することは考えていなかった。ところが、欧州挑戦のチャンスが思わぬ形で転がってきた
シーズン終了直後の昨年11月、宮本は2週間にわたってデインズの練習に参加した。クラブの経営権を持つACAフットボールパートナーズ(ACAFP)による、アジアの有望な若手選手に欧州で経験を積む機会を与える取り組みに、トップチームに所属する若手の底上げを図りたかった浦和の強化方針が共鳴。ベルギーリーグはシーズン中だったが、宮本と安居海渡、工藤孝太(現・藤枝MYFC)の3人が現地でトップチームの練習に加わることとなった。
貴重な2週間を終えて帰国し、成田空港でスマートフォンを開いた宮本のもとに仲介人から無事に到着したかを確認するメッセージが届いていた。それを見てすぐ、帰国したことを報告するために電話をかけると、その場で「デインズへの移籍の話が進みそうだけどどうする?」と問われたという。現実的ではないと思っていた欧州移籍のチャンスに「行きます」と即答した。
「デインズで過ごした2週間は、ちょうどワールドカップの時期でした。初めてプロサッカー選手としてW杯を見て、ものすごく刺激を受けたんです。それで4年後の出場を目指したいと思ったら、海外に挑戦するというのは本当に大事な決断だと思いました」
浦和での1年目も「ものすごく充実していた」。右サイドバックで日本代表の酒井宏樹とポジションを争うことになったが、出番が限られると予想される中でも「どのチームに行くよりプラスになることが多い」と前向きに日々の練習に取り組んだ。
「いろいろなアドバイスをもらいましたし、やっぱり宏樹さんには負けたくないと思った。自分の長所を磨くために日々トレーニングしましたし、すごく高い壁ではありましたけど、逆に宏樹さんがいたからこそ自分に満足せずできたかなと思います」
一方でデインズの練習に参加した2週間にも「サッカー選手としても、一人の男としても、すごくいい経験になった」手応えがあった。宮本は「浦和という日本一大きなクラブに入り、素晴らしい環境でやらせてもらえていた。そういうところで弱音を吐いていた自分はすごく弱かったんだなと改めて思いました」と語る。自分がいかに恵まれていたかに、ベルギーに渡って気づくことができた。
浦和からデインズへの期限付き移籍は、年が明けて1月10日に正式発表となった。ベルギーでの労働許可証を取得した宮本は本格的にチームに合流し、今度は練習生ではなく選手として競争に加わっていく。しかし、練習参加が正式契約につながったとはいえ現実は甘くなかった。
(C)KMSK Deinze
言葉の壁も高く、日本とは全く違うピッチの質への順応にも時間がかかった。力を発揮できる自信はあるが、コミュニケーション面などに不安を抱いた状態では監督が起用に二の足を踏むこともあるだろう。
「この環境に慣れている選手と対人で勝負すると、最初の頃はピッチコンディションに影響されて半歩遅れてしまうこともありました。それを改善するにはピッチに慣れることも必要ですし、それ以外での体の使い方や筋力の向上も大事だなと思い、いろいろ工夫する毎日でした」
「日本では感じられないことばかりだったので、試合に出るためにコーチが言っていることや試合を見て気づいたことを自分の中で噛み砕いて理解しようと。日本にいて試合に出られない時よりも自分でいろいろ考えるようになりましたし、工夫もたくさんするようになりました」
ピッチ外でも自分と向き合う時間が増えた。家に帰れば一人で、遊びに出ることもない。英語の勉強や自炊にもチャレンジしているが、それ以外に空いている時間がたっぷりある。そんな中で宮本は「僕って、辛くても逃げないんだ」と気づいたという。
「ある日、母と電話をしていた時に、『試合に出られなくて苦しい』みたいなことを普通に話していたんです。でも、よく考えてみたら、二択くらい選択肢があると僕はずっとキツい方を選んできた。高校生の頃からそうです。
その時は『何でこんなにキツいほうを選んでしまうんだろう』と思うし、毎回実際にキツい思いをして、その度に泣きべそかいて母に電話していました。でも、自分はキツいほうを選んでも、そこで絶対に逃げ出さないですし、絶対に打ち勝ってやろうという気持ちはいつまで経っても変わらないなと、ベルギーに来て改めて感じました」
自分の本質に触れたことで、吹っ切れた。辛く苦しい日々が続いたとしても、絶対に諦めない。宮本の反骨心に火がついた。「わからないことは、わからない。最低限のコミュニケーションは必要ですけど、コミュニケーションを取れないことに対してストレスを抱えないほうがいいと思いました」と23歳の若武者は語る。
「正直、監督やコーチからバーっと言われても、8割くらいわからないことばかり。でも、その中でも『今の感じなら、僕はこういうのが悪いな』とか、『これは違うだろう』とか、思うことはあるので、わからないなりに素直に単語を並べて伝えるようにしています。
悪い時は改善しようと思っているので、そういう姿を周りの選手や監督、スタッフは見てくれている。その後、絶対に連続で同じミスをしないことを心がけているので、試合に出られなくても、それが決して信頼を失う理由になっているわけではないと思っています」
デインズで研鑽を積む中で、欧州基準のプレーを表現するにあたっての課題も明確になった。「僕はずば抜けて速いわけではないので、スプリント能力、スピードをもっと上げていかなければ」と宮本は語る。そこで思い出したのは、またしても酒井の存在だった。
「宏樹さんのプレーを1年間ずっと隣で見てきましたけど、あの人はここぞという時のスプリント能力が高く、判断がすごく早い。正直、日本でプレーしていた時はその意味がわからなかったんですけど、ベルギーに来てよく理解できました。
ベルギーリーグは、すごくアップテンポな試合が多い。なので、すべてのチャンスで縦に行ったり来たりしていたら重要なところで対応が間に合わないですし、それこそ失点につながるケースが多くなると思いました。
そういう部分を見て『どうすればいいんだろう?』と考えたら、一番に『だから宏樹さんはああやってプレーしていたんだな』と気づきました。予測と判断と、あとはその能力の引き出し方は、宏樹さんを見て大事だなと思ったところです」
次なる二択でどんな決断を下すのか
様々な気づきを得る中で、転機が訪れたのは3月の代表活動期間中だった。ベルギー1部のオーステンデとの練習試合で90分間プレーした宮本は、「すごくワクワクして、90分間が終わった時に、『やっぱりできるな』と改めて思った」と明かす。そして「この試合が一番の自信」となり、直後の公式戦デビューにつながった。
デインズで欧州のサッカーに触れて「4年後のW杯を本気で目指したい」と、キャリアにおける目標もより明確になった。まだ定位置を確保できておらず、ベルギー2部で「一歩目」を踏み出したばかりだが、2026年の北中米W杯出場も「不可能ではない」と感じている。
「将来的には海外に移籍したいと浦和に入った時から思っていましたし、それこそ日本代表で活躍することも考えたら海外でやりたいというのは、本当にずっと思っていたことでした。これだけ早い段階で(ベルギーでのプレーを)経験できたことはすごく嬉しいですし、もっともっと(経験を)自分のものにしたいと強く思っています。
もちろん今季だけを見るならば、すごく悔しいシーズンになっています。でも、今まで日本代表に長く名前を連ねていた選手だって、海外で絶対に苦戦していますし、僕が試合に使われていない理由も、海外ではよくあることなのかなと思います。それを『日本の文化とは違う』と片付けて日本に帰るんだったら、これからの成長なんて何一つない。何かしら自分のものにしていかなければいけないというのは、すごく感じます」
宮本はデインズ移籍によって「プロ2年目の選手が経験できないようなことばかり経験できている」と噛み締めるように語った。では「選択肢が2つあるならキツいほうを選んできた」自分は、次に二択を突きつけられた時に何をつかむのだろう。その問いに宮本はこう答えた。
「直近で『二択』になるのは、日本に戻るか欧州に残るかだと思います。浦和に戻ることもできるし、もちろんクラブへの思いもあります。日本でも充実した日々は過ごせると思いますけど、できれば僕としては欧州でチャレンジしたい。それがデインズになるのか、他のクラブになるのかはわからないですけど、海外でプレーできるチャンスのある選手はごくわずかですし、日本代表入りを目指すなら、より厳しい環境に自分を置くほうが可能性はあるのかなと」
そう考える今の宮本の心の支えになっているのは、長く日本代表として活躍し、現在はベルギー1部のシント=トロイデンVVに所属する岡崎慎司の言葉だ。偉大な先輩との交流も、ベルギーにいなければ生まれなかったかもしれない。
「先日、岡崎さんとお会いできた時に『結構苦しい経験をしているね。でも、頑張り続ければ、絶対に何かしらの意味があるから』という話をしていただいて、その言葉に僕は救われました。何かを選択することを迫られた時は、もっともっと意味のあるものを選びたいし、欧州に残りたいと強く思ったのは、岡崎さんの言葉があったからこそなんです」
ACAFPのプロジェクトにおける第一号の日本人選手としてデインズに加入した宮本は、ベルギーでかけがえのない経験を積んでいる。出場機会は限られていても、濃密な日々の中で選手としても人間としても大きな成長を遂げているのは間違いない。
浦和からの期限付き移籍期間は6月30日で満了を迎える。その時に宮本がどんな決断を下すか。そして、これから先のキャリアを歩んでいく中で「二択」があった時に彼がどんな選択をしていくか注目していきたい。
(C)KMSK Deinze
宮本 優太(みやもと ゆうた)
1999年12月15日生まれ。東京都出身。強豪校流通経済大学付属柏高校より流通経済大学へ進学。1年次よりトップチームに定着。大学3年次に浦和レッズ加入内定を決めた。プロ1年目からリーグ戦、ACL、天皇杯、カップ戦などで活躍し、2023年1月、ベルギー2部のKMSKデインズに期限付き移籍を果たした。
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