「僕らはウェアのゴールを見るためにここまでやって来た」。1990年代後半、ミランのユニフォームを身にまとい、サンシーロで躍動するバロンドール受賞者のジョージ・ウェアを前に、観客の歌うチャントがスタジアムに鳴り響いていた。
現在、初代ウェアことジョージがリベリア大統領として政治活動に勤しむ中、サッカー界では後継者である息子のティモシー・ウェアにスポットライトが当てられている。
2000年生まれの米国籍を持つティム・ウェアは、ニューヨーク・レッドブルズの育成部門に入団した後、2015年夏にパリ・サンジェルマン(PSG)の下部組織へ移籍。セルティックでのプレーを経て、2019年夏にリールに加入すると継続性を示し、ユヴェントスなど重要なクラブから注目を浴びるようになった。
新シーズンからマッシミリアーノ・アッレグリ率いるユーヴェでプレーするだろうティム・ウェアとは何者なのかを探ってみよう。
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ウェア家のDNAはウソをつかない
非情であるかもしれないが、2世選手であるだけに、父ジョージ・ウェア氏との比較は避けられない。もちろん現時点で、バロンドール受賞者である父のレベルには遠く及ばない。だが若きウェアは才能に溢れ、年を追うごとに能力を開花させている。特にプレースタイルやフィジカルのパワー、スピードに関して、「DNAはウソをつかない」と言えるだろう。
さらに彼のパーソナリティにも注目すべきだろう。「僕はピッチにおいて、自分の姓を活かしている。対戦相手の選手たちの多くは、僕が父と同じくらい強いと考えて怖がるんだ」と豪語しており、自身に向けられた期待値の重みにつぶされたことは一度もない。
ウェアは、トリデンテの右でのプレーを得意とするウィンガーで、スピードと優れたテクニックを持ち味としている。リールでは、左右のサイドバックで起用されたこともあり、守備的な役割もこなしてきた。だが、まだフオリクラッセ(規格外の選手)並みの得点力は示すことができておらず、今後、磨いていかなければならない点であると言えるだろう。
ウェアの歩んだキャリア…ニューヨークからリールへ
ウェアは、父ジョージがまだ現役選手だった2000年に米国で生まれ、14歳までをブルックリンで過ごした。プロ意識は高いが、サッカーへの向き合い方は米国育ちらしく決して堅苦しくない。米国籍を保有している関係もあり、代表チームは米国代表を選択した。
14歳で渡った欧州…PSGの下部組織時代
ウェアは14歳でヨーロッパへと渡り、PSGの下部組織に入団。5年間をパリで過ごし、トップチームデビューも飾った。
だが、PSGではその才能を開花させることができなかったウェア。それでもパリでの経験は、キャリアの道を切り開くためのジャンプ台として役立ったと言えるだろう。
転機となるセルティック移籍とリールでの飛躍
ウェアは、レンタル移籍先のセルティックにおいて、パリで得ることができなかった出場機会を与えられ、半年間で公式戦17試合に出場、4ゴール1アシストをマーク。この活躍により、リールからのオファーが舞い込んだ。新天地では、2019年の負傷を乗り越えると、自身のキャリアを飛躍させた。
クリストフ・ガルティエの下、2020-21シーズンには公式戦5ゴールをマークしたほか、リーグ・アン制覇にも貢献した。直近の2022-23シーズンは公式戦32試合に出場、2アシストを記録している。
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米国代表として父が未経験のW杯の舞台に
米国代表でのデビューは、18歳の時に遡る。ティム・ウェアは、2018年3月28日のパラグアイ戦に途中出場し、米国代表において初となる2000年代生まれの選手となった。現在は、米国代表の主軸を担うウェア。リベリア代表だった父ジョージ氏とは異なり、FIFAワールドカップ(W杯)出場も経験している。
W杯カタール2022の初戦ウェールズ戦(1-1)では、先制点をマークするなど主役級の活躍を見せた。だが、クラブと同様に米国代表においても、ゴールに関しては振るわず、31試合の出場でわずか4得点にとどまっている。
文・マックス・クリスティーナ/イタリア人ジャーナリスト
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