鎌田は、2015年にサガン鳥栖でプロキャリアをスタートさせた後、2017年にはブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトへ完全移籍。海外でのシーズンを追う毎に存在感を示し、一昨シーズンはクラブを42年ぶりのヨーロッパリーグ制覇へと導くと、UEFAチャンピオンズリーグという世界最高峰の舞台に立った昨季は、グループステージで3試合連続ゴールをマークし、チーム史上初の決勝トーナメント進出に貢献。世界的なビッグクラブからも関心が示される選手となった。
そんな鎌田は、どのようなキャリアを歩んできたことで築かれていったのか。番組内で自身のキャリアを振り返った。
サッカーを始めた3歳から全日本少年サッカー選手権大会に出場した過去を持つ小学生までは、自身でも「めちゃくちゃ上手かった」と語るほど、順調なキャリアを歩んでいた。そこから中学では、ガンバ大阪のジュニアユースへ進んだが、「試合に出られなかったし、身長が一気に30cmほど伸びて、当時はもっと細かったので体がついていかなかった。フィジカル面で苦労した」という過去を明かした。
そんな鎌田が最も成長を遂げたのは、高校2年生の頃。当時、成長を加速させるキッカケとなったこんなエピソードを明かした。
「高校1年生の時は練習をちゃんとやらなかったり、大変な時期もあった。1年生の時に3冠のチャンスがあったが、残り20分くらいで途中出場してゴール1mくらいの距離のシュートを外して僕のせいで負けた。そこで先輩たちにすごく迷惑をかけてサッカーをやめようと思ったが、いろんな人たちが泣きながら、『お前が引っ張っていけ』と言われた。次の日から坊主にして、そこで気持ちの面が変わった。先輩たちには申し訳ないが、そういう出来事があったことで変われたと思う」。
また練習量には絶対的な自信があったと言う。「アニメの見過ぎで砂浜で両手、両足に重りをつけて走ったり、毎朝学校に行く前に起きて走ったりしていた」ことを明かし、「この練習が良いというよりも、これだけやってきたという自信があった。他のやつよりも絶対に練習していると思えていた」と語る。
そんな鎌田に内田篤人氏から「成長のために必要なことは?」と問われると、こう返答した。
「その選手によって何かしら、秀でているものがある。ただ僕自身は何もなかった。足が速かったわけでもないし、めっちゃ上手いわけでもなかったし、フィジカルがあるわけでもなかった。だから全てが必要だと思って、攻撃も、走ることも、守備も、自分に何が必要か考えながらやっていた」。
特に一時期は、苦手としていた守備面を鍛えるためにリヴァプールやバルセロナに在籍した元アルゼンチン代表のハビエル・マスチェラーノの動画を見て、足の出し方などを研究したと言う。
一見、クールに、淡々とセンスだけで登り詰めてきたように世間では受け止められることも少なくないが、「周りのイメージとは程遠いかもしれない」と努力を積み重ねてきた先に、今の活躍があるのだろう。
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