現在36歳の太田は、2006年に横浜FCでプロキャリアをスタートし、09年には清水エスパルス、11年にはFC東京への移籍を経て、16年にはオランダのフィテッセへの移籍を決断。自身初の海外にも挑戦した。17年にFC東京へ復帰した後は、名古屋グランパスやオーストラリアのパース・グローリーFC、FC町田ゼルビアと渡り歩いて、そして今季、町田を史上初のJ1昇格とJ2優勝に貢献し、自身の地元クラブである町田で18シーズンのプロ生活に終止符を打った。
そんな太田は、内田氏や安田氏とは同世代で、現役時代は同じサイドバックを主戦場としてきた戦友の間柄だ。そんな二人を「(自分よりも)何歩も先を行っていたからめちゃくちゃ憧れの目で見ていた」と語る。内田氏は、プロ5年目の10年に鹿島アントラーズからドイツのシャルケ04へ。一方の安田氏は、その1年後の11年にガンバ大阪からフィテッセへと移籍し、二人は20代前半の頃に海外へと羽ばたいていった。そんな二人とは対照的なキャリアを歩んできた太田は、当時J2の横浜FCでキャリアをスタートさせ、J1の清水エスパルスやFC東京を経て、着実にステップアップを遂げ、当時29歳の16年に初の海外挑戦を志した。
この決断の裏には、こんな海外挑戦への葛藤があったと言う。
「まずJ2からのスタートで、やっとJ1チームに移籍できて、試合に出られるようになって、みんなが先にヨーロッパへ行く中で(海外へ)行きたいとは思っていたけど、まだそこまで自信がなかった。24から25歳くらいの時に清水からFC東京へ移籍したが、そのタイミングでドイツ(1860ミュンヘン)の話はあった。ほぼ行く話で進んでいたが、直前で勇気が出なくて断った。だけどもう一回Jリーグでと言うことでFC東京に移籍して、そこからちょっとずつ結果を残せるようになったが、年齢的にも20代後半で無理でしょというタイミングでフィテッセから話をもらった。初挑戦にしては遅い年齢だったと思う」。
フィテッセでは、15-16シーズンの冬に加入し、16-17シーズンの途中まで約1年間をオランダで過ごした。自身初の海外挑戦を「めちゃくちゃ行ってよかった」と振り返り、その理由として「サッカーも面白かったし、フィテッセはクラブハウスもスタジアムもサッカーをやる環境が素晴らしかった。デュッセルドルフも近いからみんなとも会えるじゃん(笑)」と明かす。するとフィテッセに在籍した過去を持つ安田氏が「俺と(ハーフナー・)マイクが日本人の印象を上げてしまったか」と笑いを取ると、太田が合流初日に長年フィテッセで活躍する選手から「安田とハーフナーマイクはやばかったぞと。アイツら全然デュッセルドルフから帰ってこない」と言われたエピソードも明かされた。ただオランダでの挑戦が1年で終わったことについては、「今思えば、もうちょっと居たかったとは思うけど、帰ったら帰ったでそれはよかった」と振り返っている。
番組内ではその他にも、これまでの18年間で印象に残っている指導者に話題や引退を決めた時期などについても語られている。
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