世界との邂逅、手応え、後悔、そして未来に託したいバトンについて語ってもらった全6回のインタビュー連載『この一戦にすべてを懸けろ』。今回は2006年のドイツ大会、ブラジル戦で先制点をあげた玉田圭司氏に話を聞いた。
――2006年当時は、まだ現在ほど、日本がアジアで圧倒的な立ち位置ではなかったと思います。それだけに3大会連続のW杯出場を決めた時は、安心感も強かったのではないでしょうか
周りのメンバーを見ると、すごい選手ばかりでしたし、W杯に出ないといけないチームだったので、今思うと安心感より、「このメンバーなら、行けるよな」という思いが強いですね。
――中田英寿選手、中村俊輔選手、稲本潤一選手、小野伸二選手の「黄金の中盤」がいたチームでした。FWとして、彼らとのプレーはやりやすかったですか?
試合もそうだったのですが、練習の時から「みんなうまいな」と思っていましたね。年齢が近くて、特に感じるものがあったのは、一つ上の79年生まれの選手たちですよね。高校の時にも対戦していたのですが、当時から別格の選手ばかりだったので、「こういう人たちがプロになって活躍するんだろうな」というふうに見ていましたね。
――期待を集める選手たちが選ばれ、W杯の前の親善試合ではドイツに2-2で引き分けて、さらに期待が高まりました。大会後には、ここにコンディションのピークが来てしまったのではないかとも言われましたが、今、あらためて振り返ると、どうだったと感じますか
僕は「結果論なのかな」と思ってしまいます。ドイツ戦がピークだったとは思わないですし、大会期間中にもどこかが悪くなったとは感じませんでした。2006年の時は、初戦がすべてだったと思います。良い準備はできていましたし、1-0で試合が進み、3点取られたのはチームとして弱い部分が出てしまったのかもしれませんが、日本がダメだったというよりも、オーストラリアの勢いがすごかったのかなと感じますね。
――リードした後、ベンチから見ていて「危ないぞ」と感じる予兆のようなものは感じましたか?
感じましたね。1-0の時に、(小野)伸二さんが交代出場しましたよね。あの時に、僕が出られていればなと思います。中盤をもう少し作ろうという意図があったと思うのですが、前線をもう少しかき回すとか、起点になる役回りをやれればなと思いました。相手のパワープレーに少し押し込まれていたので、それを緩和できればなと思いながら見ていました。オーストラリアの強み、勢いに乗るプレーが出てきて、それに対して受け身になってしまったところで、点を取られてしまうと、向こうも勢いを増しますし、こっちは下を向く状況になってしまったと思います。
――2戦目のクロアチア戦が0-0で終わり、決勝トーナメント進出のためにはブラジルに2点差をつけて勝たないといけないという状況になっていました
ブラジル戦の前、下を向いている選手はいなかったですし、誰も諦めていませんでしたよ。一つひとつの練習も、集中してやることができていたと思います。なにせW杯でブラジルと戦えるんですから、誰も悔いを残したくなかったですよね。
――実際に試合が始まると、前半34分に日本が先制します。このゴールを決めたのが、玉田さんでした。2022年現在も、日本がW杯でブラジルから挙げた唯一のゴールとなっています。このゴールを振り返っていただけますか
点が入るまでの動きであったりを、あまり鮮明に覚えていないんです。普段は自分の取ったゴールを覚えているのですが、本当に集中していた時、たまにあるんです。周囲の雑音とかも一切、耳に入らなかったですし、細かい動きも、自分が頭のなかで描きながらやっていたのか、真っ白になって無我夢中だったのか…。本当に、その試合に入り込んでいたので、逆に覚えていないんです。
――この玉田さんのゴールが持つ意味というのは?
意味ですか? 何もないですよ。W杯では、勝たなければいけないというか、勝利に導くようなゴールでなければ、僕はまったく意味がないと思っているので。どれだけチームが勝つためのゴールを決めることができるかが、大事なのではないでしょうか。
――日本が先制した前後でのブラジルの違いというのは、いかがでしたか?
当時、ブラジルは最強のメンバーという評価だったのですが、あまり調子が良くないと言われていたんです。それでも、ほぼ1次ラウンド通過は決まっていたので、多少、メンバーを落として余裕を持っていたのですが、本当に強かったです。遊びながらサッカーをやっているような感覚を受けました。日本は先制しましたが、ブラジルはものすごく強かった。点が入る前にも、点を取られてもおかしくないピンチが、たくさんありました。最初からものすごく強かったのですが、日本が1点取った後は、少し気を引き締めつつ、楽しみながらサッカーをやっている感覚でした。自分のキャリアのなかでも、一番強かったかなというくらい、この時のブラジルは強かったですね。
――それでも玉田さんのゴールが決まった時は、番狂わせが起こるんじゃないかという期待に包まれました。ピッチ内でも、「いけるぞ」という雰囲気はありましたか
ありましたね。耐える時間が長いことは、みんな頭のなかに入っていました。でも、耐えることができず、前半の終盤に同点ゴールを決められて、少しガクッとなりました。前半を1-0のまま、終えることができていれば、違った展開になっていたのかなと思います。
――W杯初先発の試合が、ブラジル戦。残念ながら逆転負けを喫してしまいましたが、あらためて、この試合は特別な経験だったのではないでしょうか
本当に特別な経験になりました。その後の自分のサッカー人生にも、大きな試合になりました。この試合で、「やっぱりサッカーは楽しみながらやるものなんだな」と感じたんです。もちろん、勝たないといけないプレッシャーはありますが、その前にやっぱりサッカーは楽しいものだなと。楽しみながらやることで、自分も良いプレーができるし、チームにも貢献ができるんだなと、あらためて思わせてもらった試合でしたね。
――ドイツ大会の日本には、才能豊かな選手がそろっていました。そのポテンシャルを発揮しきれていれば、決勝ラウンド進出も十分可能だったのかなと思います。今、おっしゃられた「楽しむ」という部分が、日本に重要だったと感じていますか?
そうですね。やっぱり当時の選手たちの能力を見た時に、どのチームよりも上手いと思いますからね。ブラジルはちょっと別ですが、うまさが融合できれば、より良い戦いができたと思います。でも、なかなか難しいですよね。うまいだけでは勝てませんからね。
――このドイツ大会は、日本サッカーにどんな意味があった大会だったと思いますか
どうですかね。どんなに良い選手がいても、難しい大会でもあるというのは感じたと思います。ドイツと日本の親善試合が今でもピックアップされるのは、何かのメッセージでもあると思うんです。準備の仕方をとっても、チームとしても、選手一人ひとりにも、良い教訓になっているのではないでしょうか。
――今の日本代表は、どのように見ていますか?
最終予選の序盤に敗れて、「W杯出場が難しいのではないか」というところから、ずっと連勝して、あと1勝というところまで来ました。それは日本の成長につながっていると思います。結果を出しているところは、すごいなと思いつつ、もう少しエンターテインメント性、周りを楽しませることもそうですし、一人ひとりが生き生きとプレーするところが見たいです。W杯の出場権を獲得するまでは、森保一監督を中心に一つになり、結果にこだわる。そこからはもっと楽しんでプレーしてもらえたらなと思います。
文・インタビュー 河合拓
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