世界との邂逅、手応え、後悔、そして未来に託したいバトンについて語ってもらった全6回のインタビュー連載『この一戦にすべてを懸けろ』。今回は2010年の南アフリカ大会で最後のPKキッカーとなった駒野友一選手に話を聞いた。
――駒野選手は2006年のドイツ大会に出場しましたが、チームとしても個人としても、悔いの残る大会だったと思います。そこからの4年間、南アフリカ大会に向けてどのような想いで取り組んでいたのでしょうか
ドイツの時に選ばれて、加地(亮)さんの怪我で1試合出場することができました。ワールドカップの雰囲気を肌で感じられたことは、そこからのキャリアにプラスになったと思いますし、この大会に出たいという想いは、より強くなったと思います。ただドイツの時は予選を戦わず、大会前に選んでもらったので、次は予選を戦ったうえで、本大会にも選ばれたいという気持ちでしたね。
――南アフリカ大会では予選を経験した一方で、内田篤人選手ら若手の台頭もあり、立場を確立したわけではなかったですよね
日本代表は入れ替わりの激しい場所ですし、競争があるのは当たり前のこと。常にいいパフォーマンスをしなければ選ばれないという覚悟で、日々取り組んでいました。それくらい日本代表は厳しいところだと思っています。
――一度は失ったレギュラーポジションを、大会直前に取り戻すことになりました
常に準備をしてきたことが、つながったと思います。キャンプ地のオーストリアに行ってからも練習からハードワークを続けていましたし、パフォーマンスを上げていくことを心がけながら取り組んでいたので、いい状態で大会に入れたと思います。
――一方で当時のチームに対しては、批判的な声も大きかったですよね
日本代表は常に批判の的になりますし、負ければ厳しく言われてしまうことは、覚悟しています。ただ、大会前はそんなに情報が入ってくるわけでもなかったですし、インターネットを探ることもしなかったので、そこまで批判的な声は届いてはいませんでした。
――チーム内の雰囲気はどうだったのでしょう?
大会前の強化試合でイングランドとコートジボワールに負けたこともあり、雰囲気が良くなかったのは確かです。そのあとに選手ミーティングをしたんですが、そこでの(田中マルクス)闘莉王の一言が、選手の気持ちとチームの雰囲気を変えてくれました。
――どういう言葉だったのでしょうか
『俺たちは下手なんだ』ということですね。下手なりに球際でしっかり戦って、最後まで諦めずに走ること。そういうところで勝てなければ、試合には勝てないということを言ってくれました。その言葉があったから、次の日の練習からみんなの意識が変わりましたし、チームがひとつの方向に向かって進んでいったと思います。
――直前にフォーメーションや戦術変更があったことに対して、不安はなかったですか
日本は個々で守る国ではないですし、組織で守って戦うチームです。岡田武史監督(当時)は、そういう日本人としての戦いを意識づけてくれたと思います。後ろの選手としてはあまりリスクをかけないという約束事があったので、まずは守備を意識しながら、上がるタイミングだけを考えていました。
――そして迎えた初戦のカメルーン戦は、本田圭佑選手のゴールで1-0と勝利しました
それまでの道のりを考えるといい状態とは言えませんでしたが、あの試合は組織として戦えたと思います。後半は守りの意識が強くなりすぎて後ろに下がってしまい、押し込まれる時間も長かったですけど、チームが同じ方向を向いていたので、しっかり守り切ることができました。チーム全員で手にした1勝だったと思います。
――これでやっていけるという手応えは?
誰もが攻撃的なサッカーを求めると思いますが、勝つためにはいろんな手段があります。もちろん、内容的には良いサッカーだったとは言えないかもしれないですけど、みんなが同じ方向を向き、ひとつになって戦ったことが、あの勝利につながったと思います。
――続くオランダ戦には敗れましたが、第3戦のデンマーク戦に快勝を収め、決勝トーナメント進出を決めました。あの時の心境は?
守備的な戦いをしている以上は先制点が大事になってくるので、圭佑がFKを決めてくれたことが大きかったですね。あの時はチームに一体感がありましたし、だからこそ決まった瞬間、みんなが圭佑のところに集まったと思います。試合を重ねるごとにチームの結束力が強くなっていることを感じていましたし、決勝トーナメントに進んだことで、今やっているサッカーに間違いはないという手応えを得られた試合でした。
――パラグアイとのラウンド16は、なかなか点が入らない緊迫した展開となりました。ディフェンスの立場として、どういう心境で戦っていたのでしょうか
デンマーク戦では3点取りましたけど、1点勝負というのはどの試合もそうでしたし、DFとしてはとにかく先に失点しないことだけを心がけて試合を進めていました。当然、サッカーなので簡単に点は取れません。とにかく焦れずに、守ることだけを考えていました。
――延長も含め120分を終えてもスコアは動かず、PK戦に突入しました。駒野選手は、あらかじめ蹴ることが決まっていたのですか?
そうですね。あの時は岡田さんに指名されました。
――PKに自信を持っていましたか?
オシム監督が指揮を執っていたアジアカップでもPK戦で決めていましたし、前日のPK練習でもすべて決めていたので、自信はありました。
――蹴る前はの心境は?
無心でしたね。
――外れてしまった時は、何を思いましたか
頭が真っ白でした。やってしまったな、という感じだったと思います。
――敗戦が決まった試合後のことは覚えていますか
後々にいろんなことを考えたりはしましたけど、あの時は自分だけが外してしまったので、ただただ責任を感じていました。悔しいの一言では収まらない感情でしたね。
――あのPK失敗は、駒野選手のその後のキャリアにどのような影響を与えたのでしょうか
大会後にチームから1週間ほど休みをもらいましたけど、もうサッカーができる立場ではないなと思っていました。周りの目も気になってしまって、落ち込んでいましたね。でも日が経つにつれて、やっぱりサッカーがしたくなるんですよ。早くボールが蹴りたい、みんなと一緒にサッカーがしたいという気持ちがどんどん湧いてきましたね。サッカーから離れることで、自分にとってサッカーはすごく大事なものなんだと改めて思いましたし、自分にはサッカーしかないんだなって。だから、オフ明けにボールを蹴った瞬間は本当に嬉しかったし、もう一度サッカーをしている姿を見てもらえるように頑張っていこうと強く思いました。
――現在、岡田氏が代表を務めるFC今治にいることも、あの大会があったからでしょうか
そうですね。声をかけていただいた時は、今治はJFLのチームで、J3に上げてほしいということでオファーしてくれました。自分自身、それまでJFLでサッカーをしたことがなかったので最初は悩みましたし、家族にも相談しました。でも奥さんが『岡田さんに恩返しするタイミングじゃない?』と背中を押してくれたことで、移籍することにしました。厳しい環境ではありましたけど、このチームにはJ1まで登っていく目標があるので、その力に少しでもなれればという想いで、今も頑張っています。
――ちなみに、あれ以来PKは蹴りましたか?
リーグ戦ではPK戦がないですけど、天皇杯の試合の前とかにPKの練習をすると、周囲がざわつきます(笑)。若い選手が多いので、あのことに触れていいのか分からないんでしょうね(笑)
――あれからもう、12年が経ちました。日本代表のOBとして、今のチームをどう見ていますか
当初は守備も、攻撃も個人で戦おうという感じが強かったですし、それが悪い方向に出ていたのかなと思います。ただ試合を重ねるごとに、攻撃のコンビネーションが出始めていますし、守備でも組織的に奪いに行くことができているので、良い流れになっていると思います。
――最終予選を突破するためには、何が必要だと思いますか
アジアの中では、日本はトップに立てるだけの力を持っていると思いますけど、そこで隙を見せてしまえば、足をすくわれると思います。やっぱり日本の強みは組織力だと思いますから、攻守に渡って連動したプレーができれば、相手も難しくなるはずです。そういうところをオーストラリア戦でも出してほしいですね。
――改めて、あの南アフリカ大会は日本サッカー界に何をもたらしたと思いますか
大会が始まるまでは難しい状況にあって、周りも勝てるはずがないと思っていたと思います。やっぱり、攻撃的なサッカーをすることは選手もそうですし、見ている方も求めるでしょう。たださっきも言ったように、日本は組織で守ること、組織として戦うことに強みがあると思います。日本人としての戦い方を再確認させてくれた大会になったと思いますし、これからも日本としての戦い方を忘れずに、進んでいってもらいたいと思います。
文・インタビュー 原山裕平
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