王国・ブラジルを相手にハイパフォーマンス。守備的なポジションから2ゴール
(C)Taku KAWAI
いよいよフットサル日本代表が、アジアの王座奪回に向かう。9月27日に開幕するAFCフットサルアジアカップクウェート2022。この大会のフットサル日本代表のキャプテンを務めるのが、名古屋オーシャンズFPオリべイラ・アルトゥールだ。
大会開幕直前の9月中旬、フットサル日本代表はフットサルブラジル代表と国際親善試合を2試合戦った。スコアはともに1-5という結果に終わったが、日本が挙げたゴールは、いずれもアルトゥールが決めたものだった。
世界最高峰の相手であるブラジルから2ゴールを決めたアルトゥールだが、彼のポジションはフィクソ。サッカーでいえばDFにあたり、フィールドプレーヤーの中ではゴールから最も遠い位置にいる。島根での第1戦に敗れた試合後、木暮賢一郎監督は第2戦に向けた準備として、ハットトリックを許したFPピトに対してアルトゥールをマンマークで対応させるように修正した。
ピトはフットサル欧州王者であるバルセロナ(スペイン)の中心選手であり、昨年のFIFAフットサルワールドカップリトアニア2021に出場していたメンバーの一人。今回のブラジル代表ではエースであり、アルトゥールにはワールドクラスのアタッカーを封じる役割が与えられた。
木暮監督が期待したのは、アルトゥールの正確なキックと的確な判断、そしてリーチの長い足を使ったボール奪取能力を兼ね備える部分だ。第2戦は展開に恵まれずに終盤に失点を重ねたが、試合の大半でピトをしっかりと封じ込めたのはさすがの一言。後方から攻撃参加して得点を奪ったシーンも見事だった。まさに日本代表の攻守の要として君臨する存在だ。
幼い頃からの夢だったセレソンではなく日本代表を選んだわけ
(C)Taku KAWAI
その名前、風貌からも分かるように、アルトゥールの生まれは日本ではない。出身はブラジル。ユース年代ではグレミオやインテルナシオナルといった名門でサッカーをプレーしていながら、当時はサッカーに対する執着心がなかったという。
「もう少し粘り強くやっていれば、サッカー選手になれていたかもしれない。U-20までサッカーをやってほしいというオファーをもらったけれど、それを断ってフットサルをプレーすることを判断したんだ。今になって考えれば、サッカーをやって成功できなかったらフットサルに進むという道もあったと思う。逆にフットサルで失敗してからサッカーに戻るのはすごく難しいからね」
サッカーではなく、フットサルを選んだアルトゥールは、U-20フットサルブラジル代表にも選ばれ、キャプテンも務めた。さらにブラジルの名門コリンチャンスに所属していた時、当時のブラジル代表の運営をしていたブラジルフットサル連盟(CBFS)から、フル代表への招集レターが何度か送られてきていたという。しかし、当時のコリンチャンスはCBFSとの折り合いが悪かったことから、このオファーを拒否。打診された中には公式大会への招集もあったという。この時、コリンチャンスがブラジル代表に彼を送り出し、ブラジル代表に定着していたら、もしかしたらアルトゥールはセレソンの一員として、日本に来ていたかもしれない。
2015年、シュライカー大阪加入のために来日した彼が日本への帰化を目指していることを明らかにしたとき、多くの人が驚きを隠さなかった。それもそのはず。彼の父はフットサルのブラジル代表を指揮し、2008年にブラジルで開催されたフットサルW杯で母国を優勝に導いた人物だったからだ。
それでもアルトゥールは、日本人になることを選択する。その理由の一つが「日本人の内面、優しさに惹かれたから」。当時、大阪で生活をしていたアルトゥールだが、日常生活でいろいろな人たちが声を掛けてくれ、言葉が分からない時も助けてくれた。感謝の気持ちを伝えたい。これがアルトゥールの帰化への道の始まりとなる。
周囲を驚かせる適応力。世界でも特殊とされる日本語を独学でマスター
「最初は、自分に対して良くしてくれた人たちに、お礼の言葉を伝えたかった。『ありがとう』という言葉だけで伝えることもできたかもしれない。でも、それだけではなく、もっと日本の人たちとコミュニケーションをとりたいと思う気持ちが強くなっていった」
来日3年目の頃から、アルトゥールは毎日2時間の日本語の勉強を始めた。外国人が日本へ帰化するためには、来日して5年が経っていることが必要であり、小学2年生程度の漢字を含めた読み書きの能力も求められる。日本人にとっては難しくないだろうが、日本語は世界でも特殊な言語の一つ。サッカーファンであれば、ガンバ大阪FWパトリックがツイッターで日本語の勉強に取り組んでいる様子を目にしたことがあるかもしれないが、外国人にとっては非常にハードルが高いのだ。
シュライカー大阪で4シーズンにわたってプレーしたアルトゥールは、来日5年目に名古屋オーシャンズへ移籍。名古屋に加入した時は、すでに日本語でのやり取りがほとんど問題なくできる状態だったという。名古屋はそれまでも多くの外国籍選手の帰化をサポートしてきたが、多くの選手が一人では勉強できずに日本語学校や日本語の教室に通うケースが多い中、アルトゥールは独学で勉強を続けた。
帰化申請に必要な日本語のテストで初回から合格まであと少しという高得点を叩き出してクラブスタッフを驚かせた。それでもアルトゥールは、点数が合格に届かなかったことから「次は何をやればいい?」と聞き、漢字の書きの上達が必要だと指摘されると、漢字ドリルを購入して毎日2時間の日本語勉強に取り入れていった。
帰化申請の書類には、日本人になりたい動機を書く欄がある。そこにアルトゥールは、「ブラジルという国は母国であり、その国の代表である『セレソン』は小さい頃からの夢でした。でも、異国の地に来て、日本人に助けてもらった。その日本人に対して、感謝の気持ちを伝え、恩返しがしたい。日本代表になりたい気持ちが芽生えました。今なら、迷わずに日本代表を選べる。この国に感謝しかない。みんなに助けてもらって、大好きな国になった」という趣旨の理由を書いたという。
2020年12月に日本への帰化申請が通ると、当時のブルーノ・ガルシア監督は、迷うことなくアルトゥールを日本代表に招集した。新型コロナウイルスの影響もあり、フットサルW杯が1年延期となったことで、リトアニアの地で日本代表としてプレー。ラウンド16では母国のブラジル代表とも対戦した。
8年ぶりのアジア制覇で大好きな日本に恩返しを
(C)Taku KAWAI
今シーズン、名古屋は新たな練習場を愛知県知多市に設けた。これを受けてアルトゥールも引っ越しをすることにしたのだが、誰に言われたわけでなく、それまで住んでいた自宅の周辺や引っ越し先で菓子折りを配っていたという。もともとアルトゥールが住んでいた家の近くにいた住民が不在時にアルトゥールからの菓子折りがドアノブに掛かっており、その感謝とお礼をしたいという連絡がクラブ事務所にあったことから、彼の几帳面な一面が伝わることとなった。
クラブ関係者は「引っ越し先でも両隣の家にあいさつするのはよく聞きます。でも、アルトゥールはマンションの一つ下の家にもあいさつに行ったそうです。理由を聞いたら『上にはそれほど迷惑を掛けないと思うけど、下は足音がうるさいかもしれないから』って。日本人でもここまで気を配ることができる人は、なかなかいませんよ」と笑った。
日本に対する感謝を示したい、日本に恩返しがしたいという思いは、今もアルトゥールの中に強くある。同時に彼を知る人、関わってきた人たちは、今大会で8年ぶりのアジアの頂点に立つフットサル日本代表の姿を、優勝トロフィーを受け取るアルトゥールの姿を見たいと思っているはずだ。日本代表を選んだ名フィクソが、折り鶴の描かれた青き新ユニフォームに袖を通してアジアの頂点奪回に挑む。
文・写真=河合 拓
1980年生まれ。フットサル情報サイト「Futsal X」発起人。大学在学中の2002年よりフットサルの取材を開始。フットサル専門誌、サッカー専門誌の編集者を経てフリーランスに。民間大会からワールドカップまで、幅広く取材を続ける。
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