すい星のごとく現れた令和の怪物ルーキーが止まらない。阪神のドラフト1位・佐藤輝明は前半戦の84試合で20本塁打。新人の左打者では1946年に大下弘(セネタース)が記録した最多本塁打を捉えたが、「満足している数字は特にないので。もっともっと自分はできると信じています」と断言し、後半戦を前に実際ある「進化」を遂げた。
東京五輪による中断期間中に打撃改造に着手した。まず操作性を高めるため、前半戦は右手にかけていた左手の小指でもグリップを握るように変更した。「より確率よく捉えるためには必要なんじゃないかなと」。さらにトップの位置を少し下げることで「力を抜いていつでも振り抜ける状態を作っておくという感じです」。
エキシビションマッチでは最初の5試合で5本塁打。低めのボール球を我慢し、四球を選ぶ場面も増えた。「前よりもボールを引きつけて見られるようになっていると思います。しっかり振っていって、その中で結果を出すことが大事だと思うので」。的確な自己分析能力と課題修正能力。一流選手に必要なものをすでに兼ね備えているのだろう。
成果が表れたのが8月17日のDeNA戦(東京D)だった。1点リードの3回1死。浜口のインハイ直球にうまく肘を抜いて対応すると、打球はあっという間に右翼席中段へ。東京Dでは初めての一発で「セ界本拠地制覇」を達成し、新人左打者の最多本塁打を75年ぶりに更新した。「厳しいコースだったんですけど、うまく打つことができました。試していることが今日はうまくいきました」と笑った。
同じ試合で同点の6回無死、今度は浜口のインロー直球を振り抜き、無人の左中間席に運んだ。決勝の22号ソロ。1969年・田淵幸一の球団新人記録にプロ初の2打席連発であっさり並んだ。「偉大な方に並ぶことができて光栄ですし、素直にうれしいです。逆方向にホームランが出るのは状態のいい証拠。ここからどんどん積み重ねていけるように頑張っていきたいと思います」。前半戦に苦しめられた「内角攻め」を克服する2発。まさに進化を証明するアーチで他球団を震え上がらせた。
豪快な打撃を見せてきた一方で、三振数も前半戦終了時点で121。1999年に福留孝介(中日)が記録した新人最多に並び、後半戦初戦で塗り替えた。「(三振が多いのは)自分の技術不足なので。強いスイングをする中で三振を減らせる方法をずっと考えています」。矢野監督は「ぶんぶん振ることがフルスイングだとは思わない。アイツは小さく振っても本塁打を打てる。振る怖さと『振らない怖さ』が出てくると本物のバッターに変わっていく」と力説する。小さくまとまらずに長打力に磨きをかけるには―。理想を追い求めた先にあったのが、新しい打撃フォームだった。
首脳陣の後押し、自らの考える力。1年目からノビノビと実力を発揮する男にとって、チームの優勝とともに見据えるのが新人最多本塁打の記録だ。トップに見えるのは1959年の桑田武(大洋)、1986年の清原和博(西武)がマークした31発。平成では誰も届かなかった大記録をハッキリと視界に捉えている。「チームに貢献できるような打撃をやっていきたいです」。背番号8が打席に入った時のワクワク感。ファンの夢は膨らむばかりだ。(報知新聞社・中村 晃大)
文・中村晃大
1991年10月19日生まれ。29歳。東京都出身。法大から2014年に報知新聞入社。15年巨人担当、16~17年ヤクルト担当、阪神担当は19年から今季で3年目。
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