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【最強は誰だ?】サイ・ヤング賞投手がまさかの来日。並み居るメジャーの強打者たちをきりきり舞いさせたトレバー・バウアー|横浜DeNAベイスターズ|プロ野球

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【最強は誰だ?】サイ・ヤング賞投手がまさかの来日。並み居るメジャーの強打者たちをきりきり舞いさせたトレバー・バウアー|横浜DeNAベイスターズ|プロ野球(C)Getty images
【プロ野球 コラム】2023年のプロ野球最強助っ人外国人選手は一体誰か?DAZN NEWSでは今季注目の新助っ人外国人選手をピックアップ。第1弾は横浜DeNAベイスターズのトレバー・バウアーを紹介する。
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「事件と言っていいくらい。普段寝起きの悪い僕ですけど、ニュースを見て目が覚めた」。

DeNAの左腕エース、今永昇太の言葉が全てを物語っている。それくらいトレバー・バウアーの日本球界入りは衝撃的な出来事なのだ。サッカーで例えるなら、バロンドールに輝いたプレーヤーが、キャリアの絶頂期にJリーグ入りするようなものだ。当たり前のことだが、有能な先発投手はMLBでも需要が特大で、働き盛りのうちに日本球界へ来ることはほぼないと言っていいだろう。

サイ・ヤング賞の来日はドン・ニューカム以来2人目

それがサイ・ヤング賞投手であればなおのことだ。過去に1人だけサイ・ヤング賞のトロフィーを持つ投手が来日したことがある。1962年に中日でプレーしたドン・ニューカムだ。サイ・ヤング賞の初代受賞者(1956年)として知られるニューカムは、ほぼ引退状態だった1962年に当時の高田一夫球団代表に誘われて入団したが、それは得意の打撃を生かした野手としての獲得で、投手として登板したのはわずか1試合だけだった。

投手よりも大物の来日が多い野手では、現役バリバリのうちに日本の土を踏んだ選手が少なからずいる。その代表例がボブ・ホーナー(1987年/ヤクルト)、ケビン・ミッチェル(1995年/ダイエー)、フリオ・フランコ(1995・1998年/ロッテ)で、彼らはいずれも来日の前年は、所属球団で4番を務める正真正銘の大リーガーだった。

ただ、彼らの場合は個人ではどうすることもできない事情があった。ホーナーは当時、選手会側とオーナー側が激しい対立を繰り広げるMLBにあって、オーナー側の「高額な年俸のFA選手を締め出す」という悪行の被害者となり、MLBで契約を申し出る球団が現れなかったために、ヤクルト入りの道を選んだ。

ミッチェルとフランコは、94年から始まったプロスポーツ史上最長となるストライキが原因だった。このように超大物の来日はキャリアの晩年を日本で過ごすパターンと、時代に左右されたパターンの2通りに分けられるが、バウアーの場合は「キャリアの絶頂期に個人の理由で」というこれまでにないパターンというのも、驚きの要因になっているのではないか。

変わり種・バウアーとは?

バウアーをひと言で表現するなら「変わり種」だ。良く言えば理論派で「自分」をしっかり持っているブレない男、悪く言えばそれによる衝突を厭わないトラブルメーカー。その性格は学生の頃から発揮されており、大学野球の超名門として知られるUCLA時代には、自身のトレーニングを巡ってゲリット・コール(現ニューヨーク・ヤンキースのエース)と犬猿の仲になったエピソードは有名な話だ。

2011年に大学球界で13勝2敗・防御率1.25という圧倒的な数字を残したバウアーはドラフトの目玉として、同年に1巡目全体3位というトップ3ピックでアリゾナ・ダイヤモンドバックスに指名され、プロ入り。この時、全体1位指名の栄誉に預かったのが、因縁のライバルであるコールだった。

翌2012年、マイナーで12勝2敗・防御率2.42と格の違いを見せつけたバウアーは、6月28日のアトランタ・ブレーブス戦で早々にメジャーデビュー。しかし、ダイヤモンドバックスでのバウアーの投球は、この年のわずか4先発で終わりを告げる。自身のトレーニング方法に難色を示すコーチ陣や、先輩捕手のミゲル・モンテロと確執を繰り返すバウアーに業を煮やしたフロントは、球界トップクラスのプロスペクトにもかかわらず、オフにクリーブランド・インディアンス(現ガーディアンズ)へ放出したのだ。

転機となったドライブライン・ベースボール

このまま金の卵で終わってしまうかと思われたバウアーだったが、ここで自らの性格にマッチした画期的なメソッドと出会う。それがバウアーの変身とともに世間の注目を集めることになった「ドライブライン・ベースボール」だ。

初めは倉庫の一角から始まった小さなトレーニング施設に過ぎなかったが、今では最先端の虎の穴として訪れる投手は後を絶たず、2019年には今永、濱口遥大、京山将弥が自費でトレーニングに参加したほどだ。この施設ではピッチング時における身体の動きをCGで可視化したり、高速カメラで動作の隅々までチェックすることによって個々人の理想的なフォームを追求することができ、その結果がスピードアップやコマンド向上につながるとあって、急速に利用者を増やしている。

独自のトレーニングや科学的アプローチに夢中だったバウアーにとってこの施設は夢の国のような存在で、毎年オフになるとここに入り浸り、最新のトレーニングと向き合う日々を送るようになった。そこでの修業はすぐに結果として現れ、加入2年目の2014年は年間通してほぼローテーションを守り、勝ち星は5勝にとどまったが、153.0回で143奪三振と本格派として一本立ち。翌年からは5年連続で2桁勝利をマークし、2018年にはオールスターゲームに選出された。

そして、栄光の2020年がやってくる。前年の7月にインディアンスからシンシナティ・レッズに移籍したバウアーは、開幕3戦目のマウンドで6.1回13奪三振の快投を披露すると、その後も安定感抜群の投球を続け、11先発で5勝4敗と貯金は1つながら防御率はナ・リーグトップの1.73を記録。新型コロナウイルスのパンデミックで年間60試合に短縮された異例のシーズンで、見事にダルビッシュ有(当時カブス)を抑えてサイ・ヤング賞に輝いた。ちなみにレッズの選手が同賞を受賞するのは、バウアーが初めてだった。

この活躍を受け、オフには金満球団のロサンゼルス・ドジャースがバウアーに接触。これまで「キャリアの柔軟性を重視する」という理由で単年契約にこだわっていたバウアーと、3年総額1億200万ドルの超大型を結んだ。新天地でも前年の快投がフロックでないことを証明していたバウアーだったが、そこで降って湧いたのが、日本のニュースでも話題になっていた女性への暴力沙汰だ。

結局6月末の登板を最後に判決が出るまで無期限の謹慎期間でチームを離れ、2022年の4月に2シーズン分に相当する324試合の出場停止処分を言い渡された。後に出場停止は194試合に軽減され、事件も証拠不十分で不起訴となったが、今年1月にはドジャースを解雇され、すっかりダーティなイメージのついてしまったバウアーに手を差し伸べるMLB球団は現れなかった。

「いつかプレーしてみたい」NPB入りへ

そんなバウアーが選んだ就職先は、かねてより「いつかプレーしてみたい」と語っていたNPBだ。日米大学野球選手権大会のアメリカ代表として来日したことで、日本に興味を持ったという。前述の通り、ドライブライン・ベースボールで今永らとはすでに交流があり、その点でもDeNA入りは最良の選択肢だったのかもしれない。

単年契約ということからも、来季以降のMLBでの再就職を見越した日本球界入りという可能性が高いが、ピークアウトしていないサイ・ヤング賞投手がエキシビションマッチではないガチのシーズンを戦うことは異例中の異例で、全プロ野球ファンにとって楽しみでしかない。

「高めの4シームと、同じ高さからカーブを落とせば、打者は反応できない」とする持論を大学時代から展開し、プロ入り後もブレずに磨いて投手最高の栄誉にたどり着いたバウアー。並み居るメジャーの強打者たちをきりきり舞いさせた4シームとカーブのコンビネーションを、ぜひその目で見てもらいたい。

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