昨季、セ・リーグ2位の38セーブを挙げ、連投も厭わないタフネスぶりでヤクルトのリーグ2連覇に貢献したスコット・マクガフ。2019年に来日した右腕は4シーズンに渡り燕の台所を支え、236登板・15勝8敗80セーブ・防御率2.94の数字を置き土産に、2年625万ドルでアリゾナ・ダイヤモンドバックスへと巣立っていった。
信頼の置けるクローザーの退団は大きな痛手で、ポッカリと空いた守護神の座には5人の候補者がいると高津臣吾監督は語っていた。新加入のキオーニ・ケラもその1人だ。
度重なる怪我から復帰を遂げてNPB挑戦へ
ケラはロサンゼルス生まれの29歳。その出生はなかなかハードなもので、ケラが生まれた時、両親はともに10代で、近所にはギャング文化がはびこっていた。そのためケラは8歳の時に母親とシアトルに移住し、そこで幼少期を過ごした。
高校生の時にシアトルのチーフス・シールス高校を26年ぶりの州大会プレーオフに導くなど頭角を現したケラは、11年にシアトル・マリナーズから29巡目でドラフト指名されるも、この時は大学進学を選択。そこでも野球を続けて結果を残し、12年にテキサス・レンジャーズから12巡目全体396位で指名され、プロの門を叩いた。
その年から1年ごとにマイナーの階級を上げていったケラは、15年にメジャーデビュー。「スプリングトレーニングでそこまでうまくいくとは思っていなかった。今年は3Aに昇格して、そのプロセスを楽しもうと思っていた」と語る本人の思惑とは裏腹に、レンジャーズは早期のメジャー昇格を決めたのだ。
首脳陣の決断が正しかったことを証明するかのように好投を続けたケラは、デビューイヤーに68試合に登板し、セットアッパーとして50登板以上のリリーフ投手の中でチームトップとなる防御率2.39と出色の出来を見せた。また、生まれ故郷のシアトル・マリナーズ戦では6試合で無失点と錦を飾り、「セーフコ・フィールドで投げることは、お世話になった人たちへの贈り物」と感慨深く語った。
ちなみにこの年のレンジャーズのピッチングスタッフにはエースのコルビー・ルイス(元広島)を筆頭に、ニック・マルティネス(元日本ハムなど)、スペンサー・パットン(元DeNA)、藤川球児など、NPBに縁のある選手が多数在籍していた。
翌年以降もブルペンの柱として期待されたケラだったが、そこからは度重なる怪我との戦いが始まる。2016年に右ヒジにメスを入れると、2017年は肩の痛みを軽減させるために幹細胞療法を行い、2021年にはトミー・ジョン手術を受けた。その間、2018年にクローザーとして24セーブを挙げるなど一定の成績は残したものの、怪我の影響で活躍は断片的にとどまり、昨季はメジャーに昇格できないままシーズンを終え、オフにFAとなって日本行きの道を選んだ。
ケラの持ち球はストレートとカーブのほぼ2球種。デビュー当時はチェンジアップも投げていたが、今ではほとんど使わなくなっている。カーブは変化量が大きく、通算の奪三振率11.05を支えるウィニングショットとして、セ・リーグの強打者たちを翻弄しそうだ。
また、ケラには武闘派の一面もある。それを象徴するのが19年の大乱闘だ。当時ケラが所属していたピッツバーグ・パイレーツとシンシナティ・レッズが対戦した試合で、レッズのリリーフ投手アミール・ギャレットがパイレーツ側のヤジにブチ切れ、ベンチに殴り込みの大立ち回りを演じた。これをきっかけに両軍入り乱れての大乱闘に発展し、選手・監督含む10人以上(現同僚のホセ・オスナも含まれていた)が退場という大惨事に発展。その中で試合中盤に乱闘のきっかけとなる故意死球を与え、乱闘にも積極的に参加したケラには、最も重い10試合の出場停止が言い渡された。
その荒々しさが闘争心という形でハマってくれれば、NPBでもクローザーを務めるだけの素質は十分。怪我を乗り越えて新たなチャレンジに身を投じた右腕には、マクガフの穴を埋めて余りあるピッチングを期待したい。
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