マウンド上の表情からは充実感が満ちあふれていた。勝敗がどちらに転ぶがわからない同点の場面。相手は2年連続リーグ優勝のヤクルト。自身はリリーフで5試合連続無失点で迎えた6試合目の登板。4月26日横浜スタジアム・ヤクルト戦。緊迫のシーンで自分を使ってくれた喜びを全身で感じていた。難病を克服したDeNA・三嶋一輝投手(33)が流れを呼び込むために、懸命に腕を振った。
スコア1―1、同点の7回に三嶋は2番手でマウンドに上がった。ピリピリした緊張感が漂うスタジアムで、躍動した。赤羽に150キロの直球を投げ込み空振り三振を奪うと、続く高梨も5球連続ストレートで空振り三振。並木の出塁を許した後も冷静だった。浜田をスライダーで空振り三振に仕留めた。会心の投球でマウンド上でガッツポーズを決めた。
チームを鼓舞するピッチングに味方打線も呼応して、その裏の攻撃で3点を奪った。三嶋が難病を克服し、1軍マウンドで355日ぶりとなる、復活を告げる白星を勝ち取った。
「まずは勝ったっていう事実がうれしい。どんなシチュエーションで行くか分からない中で、同点の7回を任された。それに応えないといけない。応えられたことがまずうれしかった」。お立ち台でファンに祝福されて、最高の笑顔を浮かべながら汗を拭った。
8か月前にはこの場所に立っていることすら想像できなかった。プロ10年目のシーズンとなった2022年。1月中旬頃から原因不明の不調に悩まされた。「ちょっとなんか、投げても体が回っていない感じ。腰あたりが、おかしいなと。そこから前屈ができなくなった」。左足がしびれ、まっすぐ歩くことが難しい日もあった。それでも、キャンプ、オープン戦、開幕してからも最善を尽くして準備し投げ続けたが、ついに5月に抹消。国が難病指定する「黄色靭(じん)帯骨化症」が原因だった。ファームで投げながら復帰の道を探ったが、8月に手術に踏み切った。6時間にも及ぶ手術だった。
「手術をしたときは、野球ができないんじゃないかと。正直、この手術をして、もう1回マウンドに上がって、何試合か投げたりとかできないんじゃないかと。野球がもうできなくなるんじゃないかとか、普通に満足に投げられなくなるんじゃないかって思いました」
術後2週間は動かず、練習再開のメドを立てるために、横須賀市内のファーム球団施設「DOCK」を訪れたのは9月末だった。いち早く復帰したいが、スケジュールが立てられなかった。右肘内側側副靱帯再建術(トミー・ジョン手術)や、クリーニング手術とは違い、前例があまりに少なすぎた。「プランが立てられないので、自分の体と相談しながらやらなきゃいけない。そこが一番難しかった。もういけます、これくらいいけますと。キャッチボールは5センチから順番に伸ばしていった感じです。本当はもっとできるんだという気持ちもあったが抑えながらやっていました」
徐々に戻っていく体力を実感しながら、11月にキャッチボールを再開。捕手に向けての本格的なブルペン投球は1月下旬。鹿児島・奄美(ファーム)で2月のキャンプインを迎えた。過去に「黄色靭(じん)帯骨化症」の手術を受けた後に復帰した投手はいるが、術前と同じように活躍し続けた投手を探すのは難しい。不安と戦った。支えになったのは三浦大輔監督からの言葉だった。
「三浦監督から1番最初に言われたのは『それの第一号になれ』って」。
その言葉を胸に刻みマウンドに上がり続けている。今季開幕カードの4月1日の阪神戦で1回を無失点。6試合目の4月26日ヤクルト戦で復帰後初勝利を挙げると、翌27日ヤクルト戦(横浜スタジアム)で2試合連続白星。さらに同月29日の中日戦(バンテリンドーム)でも勝利投手に。4日間で3勝の離れ業を成し遂げた。いずれも三嶋の登板後にチームが勝ち越し、逆転を飾った。
同点の場面ではチームに勢いを。ビハインドの場面では相手の流れを止め、チームのスイッチを切り替える役割がベテラン右腕に託されている。19日からは本拠地でヤクルトと3連戦を迎える。2年連続リーグ覇者を相手に、復活を遂げたプロ11年目右腕が腕を振る。
文・宮田 和紀(スポーツ報知)
1976年10月5日生まれ。46歳。大阪府出身。1999年に報知新聞社に入社。2022年からDeNA担当。
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