それは遠くから見ていても辛い光景だった。
昨年8月、スタンフォード・ブリッジ。チェルシーの選手からサインをもらったり一緒に写真を撮ったりしようと、近づくことを躊躇するほど大人数のファンがチームバスの前で出待ちをしていた。
移籍してきたばかりのクリスティアン・プリシッチ、新エースストライカーの期待を背負ってローン修行から帰ってきたタミー・エイブラハム、エデン・アザールの10番を引き継いだウィリアン……。選手が姿を現すたびに大歓声が巻き起こり、多くのメンバーがファンサービスに応じていた。
ところが、小柄な18歳の青年にはその声援が向けられなかった。先輩スター選手たちと一緒に出てきたことで視線がそちらに集まってしまったためだが、誰からも呼び止められず静かにバスに乗っていったのは一人だけだった。
彼は翌日、シェフィールド・ユナイテッド戦に84分から出場して念願のトップチームデビュー。しかし、一度は2点のリードを得ながら最終的に2-2に持ち込まれたことで雰囲気は台無しに。フランク・ランパード監督に「あの途中投入した子は15歳くらいに見えますね」という嫌味な話が関係者から振られるなど、理想的とは言いがたい状況で初戦を終えた。
あれから7か月。その青年は今、世界中で大絶賛されている。
2020年3月3日に行われたFAカップ5回戦のリバプール戦でマン・オブ・ザ・マッチ受賞の目覚ましい活躍を披露すると、5日後のプレミアリーグ第29節エバートン戦でも続けてマン・オブ・マッチに。サッカーメディア『 Goal 』が世界のベスト・ヤングプレーヤー50人を選出する『 NxGn2020 』にも入り、いまやチェルシーで最も話題に挙がっている個人と言っても過言ではない。
わずか半年ほどでこれほどまでに状況を変えてみせた選手、それがビリー・ギルモアだ。
比較される自身の英雄イニエスタ
この連続マン・オブ・ザ・マッチの2試合で人々を驚かせたのは、18歳とは思えない堂々たる姿勢だった。
中盤の底という一つのミスが命取りになるポジションでの出場ながら、慎重になりすぎることなく自分らしくプレー。
常に味方がパスしやすいポジションに立って積極的にボールを要求し、巧みなターンやドリブルを交えながら「縦への攻撃」を促した。
繰り出すパスも同様。失敗を恐れて後ろや横方向に逃げるのではなく、攻撃のスイッチとなるべく前へ運ぼうとする意志を顕示。それでいて必要に応じてボールを落ち着かせ、チャンスと見ればワンタッチや中長距離のボールを入れてトランジションを加速させた。
エンゴロ・カンテとマテオ・コヴァチッチが負傷中で、かつジョルジーニョもリーグ戦の出場停止処分を受けていたからこそ回ってきたチャンスだったが、ギルモアが入ったことにより今までになかったテンポがチームに生まれた。
これらを可能にした機動力や判断力、パス能力を備えたミッドフィルダーはまさにチェルシーが欲していたもの。そのうえ出場全選手で最も長距離を走り、守備への貢献まで光らせたのだから2試合連続マン・オブ・ザ・マッチも納得の結果だった。
本人が挙げる幼少期のアイドルは「自分でボールを奪い、運び、パスができる」アンドレス・イニエスタ、より最近だと「難しいパスを簡単に見せてしまう」セスク・ファブレガスをお手本とするようになったとのこと。この2試合で見せたパフォーマンスは、まさに両者の長所を掛け合わせたようなものだったと言える。
こうした活躍を受け、ビリー(Billy)とイニエスタ(Iniesta)の複合ニックネーム「ビリエスタ(Billyesta)」が誕生したことも驚きではなかった。
父の想いに見事に応える
そんな超新星のキャリアの起源は、出身地であるスコットランドのグラスゴーにある。セルティック・ファンの父とレンジャーズ・ファンの母を持ち、両方のクラブでトレーニングしたことがある異色の天才児は、最終的に「練習場までの送り迎えが簡単」というまさかの理由でレンジャーズに入った。
当時父は息子を練習場へ送り届けるべく、17時終わりの仕事を"こっそり"16時10~30分頃に切り上げていた。「上司にバレていないことを祈る」とラジオ番組『Football Daft』で明かされたこの暴露談は一見笑い話のようだが、ラッシュアワー時により遠いセルティックの練習場に行くと到着が遅れ、準備の間もなく即開始を迎えてしまうという問題があった。父はそんな苦労を息子にかけたくないと思い、自身にとってのライバルクラブに行くことを受け入れたのだった。
レンジャーズ・アカデミーに入ったギルモアは瞬く間に頭角を現し、なんと15歳にしてトップチームチームの練習に参加。異例の年齢での合流ながら、実力を示すことで周囲を認めさせていった。
同じタイミングで在籍していたレンジャーズの象徴的な選手ケニー・ミラーは、「成長意欲の塊。しかし謙虚で、アドバイスを本当によく聞く少年だった」と振り返る。そのうえ「スティーブン・ジェラードのような屈強なメンタリティを持っていた」とまで言うのだから、いかにスペシャルな15歳だったかがうかがえる。
こうして若い頃から年上の選手と渡り合い、かつ真摯で意欲的な姿勢を忘れなかったダイヤモンドの原石はどんどん輝きを増していった。そして16歳になる前、早くもビッグクラブ行きの道が開かれる。
チェルシーでさらなる飛躍! あの日本人選手と対決も
去就に関して多くの噂が飛び交ったが、現実的には3つの選択肢があった。1つはレンジャーズ残留、そしてもう2つはイングランドでの挑戦。アーセナル、チェルシーの両ロンドン勢からオファーが届いた。
故郷スコットランドを離れるのは本人、家族のどちらにとっても簡単なことではなく、レンジャーズからも「そんなに早く行っても出番を得られずに才能を無駄にしてしまう」と引き留められた。しかし、そのリスクを負ってでもプレミアリーグでプレーするという夢を叶えるためにイングランド行きを決意。選んだ行き先は「勝者のメンタリティが備わっている」チェルシーだった。
よく指摘される「ジョン・テリーを最後に下部組織出身の定着選手がいない」ことはあまり気にしなかったのだという。これはレンジャーズで早くから年上にチャレンジし、異例を成し遂げてきた実績があったからこそだろう。そして狙い通りに、1シーズン目からU-18チームで4冠を達成した。
その後、ブルーズでもスピード出世を実現させ、プロ契約1年余りでU-23チームへ。U-18からU-23に上がったことによる変化は分かりにくいかもしれないが、クオリティのベースアップに加え、ケガ明けなどで調整のために下りてきたプレミアリーグの選手と対戦する機会を得られることが大きかった。
実は今季開幕前、U-23での印象深い経験として、ある日本人選手との対戦について語っていた。ギルモアが個人名を挙げたその選手は岡崎慎司。アンディ・キングとともにU-23レスターのメンバーとして出場したプレミアリーグ優勝経験者の岡崎はやはり特別な相手だったようで、トップチームに上がる前からハイレベルな経験を積んでいたことを再確認させられる話だった。
驚かない地元ファン
急速にステップアップを重ねていったギルモアだが、さすがに今季ほどの飛躍は予想していなかったらしい。先に挙げたラジオ番組で、「3〜5年後の目標」としてトップチームでのプレーと答えていた彼は、シェフィールド・ユナイテッド戦で抜擢されたことを完全なサプライズだったと明かしている。
「監督がいきなりメンバーに入れてくれたんだ。もう大興奮だった。そして『家族の皆さんは観戦に来る?』と聞かれ、YESと答えたら『それはいいね』と言われた。その時はどうしてそんなことを聞くのか理由が分からなかったよ。今季はU23でやるものだと考えていたから全くの予想外だった」
一方、地元スコットランドのファンは驚いていない。国内外を問わずブルーズを追って世界中を飛び回ってきたライアンさん(写真右)は言う。
「僕は根っからのチェルシーサポーターであると同時に地元のハイバーニアンを応援している。ヒブスサポーターのもとにも、ギルモアの話は当然届いていた。“ワンダーキッド”が出てきたと騒がれたし、チェルシーに行く時もずいぶん大きな話題になったものだ」
「いま言うのはズルく聞こえるかもしれないけど、彼の成長を追ってきた者として、近いうちにトップチームでデビューすることになるだろうと本気で思っていた。これまでもケタ違いの可能性を示してきたからね。特に今季のチェルシーは補強禁止もあって多くの若手が活躍しているし、彼がその中に加わっても全く驚きではなかった」
「もちろん過度なプレッシャーは禁物。リバプール戦とエバートン戦の2試合でマン・オブ・ザ・マッチを受賞したことは素晴らしいが、それだけで持ち上げるにはさすがに早すぎる」
「僕が彼に期待するのは、今まで通り地に足をつけて冷静に頑張っていって欲しいということ。まだ18歳だ。来季どういった立場になるかはまだ分からないが、いずれにしてもより多くの試合でチャンスを与えて、シーズン単位のパフォーマンスを見た後でジャッジすれば良い。たった2試合の後ではなくね」
夢は”世界一”
将来を嘱望されてきたギルモアには不変の夢がある。昨季、BBCの取材に対して「究極の目標」を語った。
「世界最高の選手になりたい。個人的に、全ての若手がこの目標を追うべきだと思っている。もし他の誰かが自分より優れていたら、その選手の超えることを目指す。僕は常にこの競争の精神を持ち続けてきた。負けることが大嫌い。夢はあくまで世界のベストだ」
今季先にトップチームに定着したメイソン・マウントは、自身の成功理由を「挑み続けたから。結局のところ命運を分けるのは技術ではなく精神」と振り返った。その最も大切な要素をギルモアが持っていることは、彼のこれまでのキャリアが証明している。だからこそランパード監督も抜擢し、プレスカンファレンスの場で「体格は小さいかもしれないが、特大の才能とパーソナリティを持っている」と強調したのだろう。
ちなみにチェルシーサポーターがギルモアに向けてどのようなチャントを歌っているかご存知だろうか。これがまた感慨深い。世界一を目指す彼にピッタリな「唯一無二のビリー・ギルモア」という歌に始まり、いまやあのエデン・アザールと同じチャントが歌われている。
個人的に「アザール・レベルの期待が込められていると考えるのは強引すぎるか?」と自問していたが、この話を現地のサポーターに振ったところ、先のライアンさん含め、多くの人が同じことを考えていた。
なお、イングランド代表のサポーターにとっては残念なお知らせもある。ギルモアはスリーライオンズの白いユニフォームを着る気は全くないと断言している。インタビューアーから複数回聞き直されても「ノーチャンス。自分はスコットランド人だ」とブレなかった。スコットランド代表にメジャータイトルをもたらすことが2番目の夢だそうだ。
やはり彼は選手にとって最も大切な強い意志を持ってプレーしている。そう遠くない将来、スコットランド代表としてトロフィーをかかげる世界最高の選手を見ることになるかもしれない。ギルモアは、そんなことさえ期待してしまう最高の逸材だ。
プロフィール・経歴
ビリー・ギルモア/Billy Gilmour
2001年6月11日生まれ 170cm・60kg 利き足:右
シーズン | 所属クラブ | 出場・得点 |
---|---|---|
2019-20 | チェルシー | 6試合・0得点 |
2019-20 | チェルシー | 2試合・0得点 |
※成績は国内リーグ(2021年2月10日現在)
筆者:小松輝仁 ( @terry_komatsu )
チェルシーを追って渡英し、2016年8月からほぼ全試合を現地観戦しているシーズンチケットホルダー。英国で本名を覚えてもらえず、付けられた呼び名は「Terry Komatsu」。チェルシー日本語公式サイトで現地情報コラム『テリーのロンドン便り』を連載中。
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