私がフットボールと出会った正確な日は覚えていない。だが、このスポーツを人生の一部にしようと決めた理由は、はっきり覚えている。あれは1989年のこと。当時6歳だった私に、父親が買ったばかりのビデオデッキで『イスト・エ・ペレ(これがペレだ)』というドキュメンタリーを見せてくれた。1時間ちょっとの長さに詰め込まれた“王様”のドリブル、ゴール、インタビューを目にして、6歳の私はブラジル代表として世界王者になることを誓っている。……ただ現在の私は40歳と、誓いを果たすのは、ちと難しくなってしまったが。
導入部分を以上のようにしたのは、1980年代のブラジルを説明するためだ。私は同国の中央地域に住む中産階級の白人の子供で、憧れの黒人はそれまでいなかった。嘆かわしくも私が通っていた私立学校は全員が白人で(生徒も教師も校長も)、ブラジルで流れていた有名ドラマにおいても黒人は決して主役にならなかった。同時期に行われた独裁政権後最初の選挙では政治家の息子と一人の職人が争っていたが、結局どちらも白人だった。
だが、フットボールで黒人は象徴的存在になれた。私にとってペレのフェイントはこのスポーツにはまるきっかけとなっただけでなく、今まで見逃していた自分の国の一部を発見することを意味していた。あの映像でペレの姿を目にすること……それは華々しい選手を目にすることと同時に、(法によって)3世紀以上はあり得なかった場所に黒人がたどり着いたのを目にすることでもあったのだ。それにあの魔法の映画で“王様”は一人ではなかった。天空のハーモニーが聞こえるようなあのサントスの攻撃陣は、ドルバル、メンガルビオ、コウチーニョ、ペレ、ぺぺで構成され、ぺぺだけが白人だったのである。
私にとってあのドキュメンタリーを見ること、ペレとその仲間たちの物語を知ることは、救世主の公現と同義だった。あの頃のブラジルに住んでいた数百万人の黒人たちにとって、それがどこまでの意味を持っていたのか……私の想像では及びもつかない。何十年にもわたって言われてきたのは、「ペレが人種差別に対して旗を掲げたことは一度もない」ということ。そんなことをする必要すらなかったのだ。
ペレは、旗そのものだったのだから。
2023年1月、ペレが去ったこの世界で、私は“可能性の象徴”という何年も無意識の中で探し続けていた表現を見つけ出した。不可能と思われることを誰かの成功が信じさせてくれる--その表現は少ない言葉数で、そんなことを言い表していた。(C)Getty Images
1980年代のブラジルで、黒人たちは初めて“可能性の象徴”を手にしたことで、新しい世代が台頭を果たして行った。ペレはもう引退していたものの(それでもいつもメディアに登場していた)、黒人初のTVレポーターであるグロリア・マリアやブラジル音楽の最高の表現者の一人ジルベルト・ジルらが彼の成功に続いている。
そしてその世代にはリオデジャネイロ州サン・ゴンサロ市の若者、ヴィニシウス・ジョゼ・パイション・デ・オリヴェイラも含まれていた。それから30年以上が経った現在、彼の息子であるヴィニシウスJr.は、世界的スターとして活躍している。
だが、ヴィニシウスは世界的スターというだけではない。彼もペレと同じく、ブラジルの何百万人の少年少女にとって“可能性の象徴”なのである。可能性を信じさせてくれるもの……それはもちろん彼のゴール、ドリブル、獲得するタイトルなのだが、それらと同じく、いや、おそらく最も大切なのが、ブラジルのストリート・カルチャーの感じ方、表現の仕方なのである。
ヴィニシウスが敵陣のコーナーでああやって踊るのは、挑発したいからではない。ヴィニシウスが踊るのはああやって踊りながら育ったから。サン・ゴンサロではああやって踊るから。フラメンゴの下部組織でゴールを決める度にああやって踊っていたから、だ。スペインという国でヴィニシウスが踊るべきか踊るべきではないか、敬意を欠いているかどうかが議論されている間、ブラジル、南アフリカ、中国、シンガポールの若者たちはTik-Tokで動画を公開するために彼のステップを体得しようとしていたというのに。Getty Images
敬意の欠如というのは、アフロ・ブラジル文化の影響下で育った選手が、欧州で試合を戦う度に自分のルーツから切り離されていくことを言うはずだ。ヴィニシウスに踊るなと言うのは、1990年イタリア・ワールドカップのコロンビア戦でゴールを決めたロジェ・ミラに対して、コーナーで踊るなと言うのと何も変わらない。オール・ブラックスに対して、ハカが相手に挑発行為と受け止められ、不快感を与える可能性があるためにやらないでほしい、と言っているようなものだ。
ずる賢さとフェイントとゴール後の音楽的セレブレーションは、ブラジル国旗に記された“秩序と進歩”よりも、ずっとずっとブラジルらしい。実際、ブラジル・フットボールは無秩序的な要素がなければ前に進むことができない。
ヴィニシウスは過去にロマーリオ、ロナウジーニョ、ネイマールが立っていた舞台で踊っている。とはいえ、その人物像は遊び好きだった先輩たちとは、また異なるものだ。というのも、彼がスペイン首都のナイトクラブで遊んでいるという話は一切聞いたことがないのだから。ヴィニシウスの私生活はほとんど知られておらず、先人たちとは違って練習に遅刻したこともない。ピッチ外での話題がこれだけ少ないのだから、ピッチ内のプレーで騒ぎ立てようとするのは自然の成り行きなのかもしれない。最大のスター2人を失ったばかりのリーガは新たなヒーロー、または新たなヒールを求めている。
こう言ってしまうのは、つらい。文章として記すのは、もっと心が痛い。しかし……
ヴィニシウスは、うざいと思われている。
そう思っているのは私でも、彼のプレーを見て愉悦に浸っている何百万人のブラジル人でもない。もちろん、マドリディスタたちにとっても違う。彼らはヴィニシウスのゴールによってタイトルを獲得し、支払った4000万ユーロの移籍金が安価だったと考えている。
ヴィニシウスをうざがっているのは彼の対戦相手たち。なぜならば、彼とマッチアップする選手は能力がないと思われてしまうから。ヴィニシウスをうざがっているのはメディアたち。なぜならば、メディアはいつも苛立っているものだから。ヴィニシウスをうざがっているのは観客たち。なぜならば……さて、なぜなのだろうか?
ヴィニシウスがあまりに良い選手だから、うざいと思ってる人々もいるだろう。良い選手が違うチームにいるならば、それはとても悪い選手になるのだから(別に認めなくてもいい。徹底的に否定することを勧させてもらう)。そのほか、彼が“面倒臭い”人物だと苛立ちを感じる人々もいるだろう。しかし“面倒臭い”は彼の個人的性格であり、別に彼が譲る必要もないし、人々が正当性を持つこともない。
そして、もう一つのグループに分けられる人々がいる(もちろん前述の人々も含めることもできる)。それは大胆不敵な黒人の若者が、世界的に有名なスタジアムで次々と活躍を披露し、踊ってそれを喜んでいることに我慢がならない連中だ。
ヴィニシウスは今日も踊る。ドリブルで相手を抜き去る。空気の読めない未熟なリアクションを取る。そうやってサン・ゴンサロ、パリ、ブリスベン、ニューヨークの黒人の子供たちに語りかけている。世界がどれだけ無理強いをしてこようとも、自分の個性を、自分のやり方を、自分の在り方を変える必要なんてないのだ、と。彼らは毎日毎日、道で、クラスで、観客席で、冗談や侮辱によって辛い目に遭ってきた。今も酷い思いをしている。Getty Images
1989年のブラジルと2023年のスペインで共通していることなど、数えるほどしかない。一つ挙げるならば、6歳の子供があるクラック(名手)のプレーを目の当たりにして、フットボールを心底愛してしまう可能性があるということ。もう一つを挙げれば、黒人の象徴的存在が足りていないということ。その2つは、ヴィニシウスで結び付けられる。
彼は問題なんかじゃない。問題ではなく、解決の糸口であるはずだ。スペイン・フットボールに根付く人種差別について、深い議論をもたらせる存在なのだから。
文/チアゴ・アランテス(Thiago Arantes)
※2023年3月発売、スペインのフットボールカルチャーマガジン『パネンカ(Panenka)』126号に掲載。
翻訳/江間慎一郎(Shinichiro Ema)
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