残り数秒のところでベルギー代表のカウンターに沈み、掴みかけていたベスト8への切符を手放した“ロストフの悲劇”から4年――。日本代表にリベンジの時が、いや、新時代を切り拓く時がやってきた。
FIFAワールドカップ(W杯)カタール2022で日本代表が目指すのは、ベスト8以上。98年フランス大会以降、6大会連続でW杯に出場してきたが、一度も到達したことのない領域である。
18年ロシア大会でコーチを務めた森保一監督は監督就任直後、ベルギー代表戦を振り返ってこんなことを言っていた。
「相手がパワープレーをしてきた時、DFを入れて5枚にして跳ね返しましょう、と西野(朗)さんに提案できなかったことを悔やんでいます。ただ、その一方で、ベンチの指示を待つのではなく、ピッチ内で問題を解決できるようにならないと、ベスト8やベスト4を狙うのは難しいとも思いました」
キャプテンに任命されたDF吉田麻也もまた、「臨機応変さというのは、日本人が不得意とするところ。指示されたことをやるのは上手いけど、自分で考えて実行するのはすごく苦手」と指摘してきた。
こうした日本人の殻を破ることへのチャレンジから、チームづくりはスタートした。
西野朗前監督が取り組んだトップダウンではなくボトムアップ方式を踏襲した森保監督は、選手たちとの対話を重ね、彼らの意見やアイデアを聞き入れ、チーム作りを進めていく。
当初、主軸に据えられたのはFW南野拓実、MF堂安律、MF中島翔哉の“三銃士”だった。そこにFW伊東純也やMF鎌田大地が加わると、アジア最終予選ではMF守田英正やMF田中碧が台頭し、チームカラーはそのときどきで変化していった。
一方、この4年間でヨーロッパ移籍の流れが加速。20年10月と11月の欧州遠征では、史上初めてメンバー全員が海外組で占められた。最終的に、26名のW杯本大会メンバーのうち、19名が海外組となった。
「あの時の悔しさは忘れたことはないです」とDF長友佑都が言うように、森保ジャパンにとってベルギー代表戦の持つ意味は小さくない。とはいえ、単なる前回大会のリベンジ物語というわけでもない。
鎌田、守田、南野といった中堅世代と、DF冨安健洋やMF三笘薫、MF久保建英、堂安、田中といった東京五輪世代は、チームの中核を成すようになった。彼らにとって今回のW杯はリベンジではなく、“俺たちの時代”の幕開けとなる大会なのだ。
グループステージで対戦するのは、ドイツ代表、コスタリカ代表、スペイン代表の3カ国。ドイツ代表とスペイン代表は8カ国しかないW杯優勝経験国でもある。厳しい戦いになるのは間違いないが、世界の列強との真剣勝負を楽しみにするメンタリティが、今の代表選手たちにはある。
「スペインのグループにドイツが入った時、ここに(日本が)来いと思いました」とMF遠藤航が言えば、田中も「決まった瞬間、ワクワクが止まりませんでした」と振り返る。ヨーロッパでの戦いが日常となっている代表選手たちにとって、ドイツ代表もスペイン代表も過度にリスペクトする相手ではないのだ。
「グッドルーザーはもういい。勝者になりたいです」と吉田が力を込めれば、新世代の代表格である鎌田は「この大会で結果を出して、日本人選手の価値を上げたい」と決意を明かす。
そして、もう一つ。日本代表がW杯に初めて出場した98年フランス大会で21歳にしてチームを牽引した中田英寿は、02年日韓大会、06年ドイツ大会とチームの中心だった。10年南アフリカ大会で日本代表をベスト16へと導いた本田圭佑は、14年ブラジル大会、18年ロシア大会で3大会連続ゴールとアシストを記録するという金字塔を打ち立てた。
次の時代の日本代表の顔となるのは誰なのか。鎌田なのか、久保なのか、堂安なのか……。そうした楽しみも、今の日本代表にはある。
文・飯尾篤史
1975年生まれ。東京都出身。明治大学を卒業後、週刊サッカーダイジェストを経て2012年からフリーランスに。10年、14年、18年W杯、16年リオ五輪などを現地で取材。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』、『残心 中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』などがある。