『終わりよければ全てよし』。初のW杯に挑んだ三笘薫にとってカタールW杯は、そのことわざとは真逆の形で終幕することになった。
カタール入りする前から三笘をアクシデントが襲った。発熱の影響で日本代表への合流が遅れ、最後の調整試合となったカナダ戦には出場することができなかった。そこから徐々にコンディションを取り戻し、大会には間に合ったが、全体練習に合流したのは初戦ドイツ戦の4日前だった。
さらにドイツ戦では、これまで日本代表ではほとんどやってこなかったWBのポジションでプレー。数日間しか詰め込む時間がなかったにも関わらず、自身の武器であるドリブルを駆使して得点に絡むプレーを披露したところに、プレミアリーグの戦いに身を置くだけの力があることを証明して見せた。
そして、三笘のドリブルは試合をこなすごとに切れ味を増していった。第2戦目のコスタリカ戦では得点にこそつながらなかったが、相手を完全に置き去りにするドリブルでチャンスメイク。第3戦目のスペイン戦では大きな話題を呼んだアシストでチームに勝利をもたらした。
このままコンディションを上げていけば、ラウンド16のクロアチア戦ではさらにいいパフォーマンスを見せるのではないか。多くの人がそう期待していたはずだ。
だが、クロアチア戦は改めて世界の壁を思い知ることになる。左のWBとして途中出場を飾ったものの、相手は三笘のドリブルを最大限に警戒。守備時にダブルチームで対抗してきただけでなく、時には3枚をかけて最大の武器を封じてきた。また、三笘のところを狙ったハイボールの競り合いを増やし、そこに相手が人数をかけてくることで自陣に釘付けにされてしまった。
こうなるとボールを運ぶ距離が長くなってしまうため、どうしてもドリブルの威力が半減してしまう。それでも延長戦では強引な突破からシュートを放つシーンを作ったが、そのチャンスを決め切ることができなかった。「試合に入るのが難しくて、チャンスのところで行き切れなかったところに悔いが残る。それが自分の実力なんだなと感じています」とは三笘の言葉。ゴールやアシストという形で、チームを勝利に導けなかったことを悔やんだ。
PK戦は責任を負う覚悟を背負い、自らキッカーに立候補した。シュートは無惨にも相手GKに阻まれてしまいチームは敗戦。試合後は人目を憚らず涙した。
「決めても、外してもその責任は負おうと思っていました。もちろん絶対に決めてやろうと思っていましたけど、そんな簡単にうまくはいかないなという風に思わされました。ただ、今後、必ず蹴る必要のある局面が出てくると思うので、今回のことは自分にとって必要になってくるというか、絶対糧になると思っています」
三笘は一夜明け、多くの期待を受けながら最終的にゴールを奪うことができなかったことに対し、「自分の力不足を感じ、いろいろな課題が残る大会」と振り返った。その上で、4年後に向けた強い思いを口にした。
「ゴールやアシストをもっと取って、チームを勝たせる存在にならないといけないと感じました。世界のトッププレーヤーは1人で局面を打開して、決め切る力があると思う。そういうものを身に着けて、もっと守備もできるようになって、走れるようになって、戦える選手になりたいと思います」
PKを外した場面は、これからのサッカー人生において何度も頭を過ることだろう。そんな悪夢を振り払うには、やはり再びW杯の舞台に立ち、今度こそチームを勝利に導くしかない。
日本の枠を超え、世界的に注目されるような存在となって、次なるW杯に帰ってくることを楽しみにしている。
文・ 林遼平
埼玉県出身の1987年生まれ。東日本大震災を機に「あとで後悔するならやりたいことはやっておこう」と憧れだったロンドンへ語学留学。2012年のロンドン五輪を現地で観戦したことで、よりスポーツの奥深さにハマることになった。帰国後、フリーランスに転身。サッカー専門新聞「エルゴラッソ」の番記者を経て、現在は様々な媒体で現場の今を伝えている。